【立花もも新刊レビュー】蝉谷めぐ実、岩井圭也、上橋菜穂子……人の“弱さ”を描く新刊3選
発売されたばかりの新刊小説の中から、ライターの立花ももがおすすめの作品を紹介する連載企画。数多く出版されている新刊小説の中から厳選し、今読むべき注目作を紹介します。(編集部)
蝉谷めぐ実『見えるか保己一』(KADOKAWA)
江戸時代に、盲目の学者がいた。しかも彼は、古代から江戸初期までに伝わるすべての文学作品や史書を『群書類従』という叢書にまとめるという偉業をなしとげた。いったいなんでそんなことができたのだろう、と思う。視力を失ったのは病ゆえとはいえ、幼少期の話だ。人生のほとんどを「見えない」「読めない」状態で過ごしてきた彼は、けれど、文字に飢え、言葉に飢えて、読み聞かせてもらった本をすべて諳んじる類まれなる記憶力で、ハンデなどものともせずに出世していく。天才の偉業と、そのすさまじい努力に私たちは励まされ、そして、見えないからこそ見える景色があるのだということを知る。
……と、無邪気に考えてしまうことが、感動ポルノを量産するのだろうということが本作を読んでいると、よくわかる。確かに、保己一はすごい。才能も、努力も、凡人には及ばない。でも、聖人ではない。ごく普通の人間だ。彼だけでなく、ほかの見えない人たちも、そう。人並みに狡く、弱く、したたかで、配慮に欠けたところもある。それなのに、いつのまにか偶像化されて、保己一はまつりあげられる。その過程に、読みながらぞっとしてしまうのは、優しいつもりで、同じことをきっと自分もするだろうと突きつけられるからだ。
もちろん、見えないゆえの苦労も悲しみもある。3話で描かれる妻の裏切りには、胸がつぶれるような気持ちになる。でも、妻を責める気持ちにもなれないのは、盲人の、しかも偉人の妻はかくあるべしというやはり偶像に彼女も縛られていたとわかるからだ。人は、弱い。そして簡単に、他者を思い違いをする。こうして本を読み、見えているはずの私たちも、いったい何を見て、何が見えていないのか。考えずにはいられない。
岩井圭也『拳の声が聞こえるか』(新潮社)
本作の主人公・遼馬は、しゃべれない、わけではないけれど、母親とならすらすらと出る言葉が人前になるとつっかえ、話すことができなくなる。考えているうちに相手は苛立ち、去っていく。そんな彼が出会ったのがボクシング。話せなくても、ボクシングはできる。トレーナーの言葉に惹かれて、遼馬はボクシングジムに入会を決める。
傷つくのを……というよりも理不尽に傷つけられるのをおそれてきた遼馬は、他者と向き合うことが苦手だ。学生時代、やはり話せなくても何とかなるという理由で陸上をやっていたときも、駆け引きができない、と幾度となく言われた。ボクシングでも、プロになってからも、彼は同じ壁にぶちあたる。
ボクシングは対話だ、とトレーナーは言う。ただ相手を打ちのめせばいいのではない。相手の拳と、想いを受け止め、そしてみずからも拳に乗せた想いをくりだしていく。その喜びと、はじめて得た居場所を失いたくなくて、勝つことより負けないことに気をとられて臆病になる遼馬は、読んでいて、じれったい。もう少し、まわりを信じてほしい。そう願うと同時に、自分はどうだろう、と顧みる。言葉に頼りすぎず、ちゃんと、大事な人たちと対話できているだろうか。自分のことも、相手のことも、信じられているだろうかと。
遼馬以上に、あとにはひけぬ思いでリングで立つ、言葉も通じないタイのチャンピオン。何も伝わらないはずの相手と、拳を通じて対話し、強くなっていく。その姿に、心が熱くなる。
上橋菜穂子『神の蝶、舞う果て』(講談社)
待ちに待った、上橋菜穂子さんの新刊! ページを繰って、あれと思った。新作のはずなのに、なんだか、懐かしいような感じがする。『精霊の木』や『月の森に、カミよ眠れ』といった初期作品を読んでいるような心地がする。でも、今作のモチーフは、植物だ。滋養に満ちた実をつける、人々を生かすラムラーという作物を受粉させる〈神の蝶〉を守るため、〈神の蝶〉を食い荒らす〈蝶の影〉を退治する、降魔士と呼ばれる人たちの物語。そこには確かに『香君』につらなるものがある。
原点回帰、ということなんだろうか。と、思いながらあとがきを読んで驚いた。なんと今作、もとは1999年から連載されていた作品だったのである。『狐笛のかなた』や『獣の奏者』が執筆されるよりも前。ある想いから、書籍化もずっと断っていたのが、『香君』を経たことで足りないピースが埋まり、改稿するに至ったのだとか。そういうことか!!と膝を打った。以上、私は上橋さんの古参だというただのマウンティングである。
物語に、話を戻す。中心となるのは、孤児のなから選ばれる、男女ペアの降魔士たち。他の降魔士と違い、なぜか、蝶の出現を予兆する鬼火に人智を越えた反応を示してしまう少女・ルクランが抱えるものと、彼女の相棒であり続けようとしながら、己の弱さにも向き合う少年・ジェードをめぐって描かれるのは、制御することのできない世界につらなる生命のありようと、そのなかで懸命に生きるしかない人の姿である。それは、数々の作品を経たからこそ上橋さんがたどりついた「今」の物語であり、そして原点でもある。
上橋さんの小説が好き、と一度でも思ったことのある人はぜひ手にとってほしい。