「ゴマすり」は悪ではない? 最新研究が明らかにする、人間関係が苦手な人ほど「社内政治」を学ぶべき理由

木村琢磨 『社内政治の科学 経営学の研究成果』(日経BP)

 ゴマすり、根回し、出張帰りはお土産を欠かさずに……あなたは「社内政治」が得意だろうか。あるいは「社内政治が得意な人」をどう思うだろうか。社内の人間関係や立ち回りに力を注ぐ人を私たちはどこか姑息に感じる。「社内政治なんかしているから、うちの会社はダメなんだ!」と嘆く読者も多いかもしれない。

 しかし、そんな見方に異論を唱えるのが、昭和女子大学教授で経営学者の木村琢磨氏だ。木村氏は昨年11月に『社内政治の科学』(日本経済新聞出版)を上梓。経営学における社内政治の研究成果を紹介し、その意義を訴えている。「無駄」で「非効率」で「ずるい」。そんなイメージを覆す「私たちが社内政治を避けられない理由」を木村氏に聞いた。

「会社は政治を避けられない」

――木村先生の研究テーマは「社内政治」だと伺いました。そもそもなのですが、社内政治は学術的に研究されているテーマなのでしょうか?

木村琢磨氏(以下、木村):もちろんです。実際に、世界のビジネススクールでは、ファイナンスやマーケティングに並ぶ組織行動という専門領域の中で、社内政治は主要テーマの一つとして学ばれています。

 研究の歴史も実はかなり長いです。古典的な経営学では、企業組織は「規則に従う機械」と捉えられ、従業員の感情や対立は組織の運営を妨げる「排除すべきもの」と考えられていました。しかし、その後、企業組織を「異なる利害や目的を持つ複数の集団の集合体」と捉える研究が登場します。考えてみれば当然ですが、人間は機械ではないので感情を完全に排除できませんし、沢山の人間が集まれば派閥や利害関係は自然と生まれるものです。そのなかでは対立や交渉、妥協といった政治的力学が必然的に発生します。こうした企業組織の政治的性質に着目した研究が1960年代には見られます。

 さらに、1980年代にはジェフリー・フェファーやヘンリー・ミンツバーグといった著名な経営学者たちが「会社は政治を避けられない」という立場で組織論の研究を展開しました。その後も研究は世界中で深化、拡散し、現在では社内政治を「秩序の形成」や「イノベーションの創出」に役立つとポジティブに評価する論文や研究者も珍しくありません。そうした研究成果を『社内政治の科学』では紹介しました。

――例えば、社内政治の一つに「ゴマすり」がありますよね。ゴマすりも学術的に有意義な行動と言えるのですか?

木村:ゴマすりは、学術的には「利己的行動」に分類されることが多いのですが、使い方によっては組織にとって有意義な行動になり得ます。例えば、リーダーが権威的な傾向のある人物の場合です。そうした人物は普通のコミュニケーションでは提案や助言を聞き入れないことが多いので、お世辞やおべっかで機嫌を取って耳を傾けてもらう、という戦術もあります。その際の目的が全体や仲間のための場合、ゴマすりは利他的な行動になります。目的が「自己の利益のため」か「全体や他者の利益のため」かによって、ゴマすりの意義も異なるわけです。

 別の例で言えば「根回し」も組織運営に欠かせない社内政治の一つです。根回しと言うと、いかにも古臭い日本的な企業文化がイメージされますが、過剰な対立を防いだり、新たなアイデアや提案に対する心理的ハードルを下げたりするためには必要な行動です。事実、根回しは必ずしも日本的な文化ではなく、海外でも「バックステージ・ネゴシエーション」という似た行動が古くから広く見られます。

――根回しは世界共通なのですね。JTC(日本の大企業)のガラパゴス的な習慣なのかと思っていました。

木村:ただし、根回しとバックステージ・ネゴシエーションでは、目的や意図がやや異なる点には注意が必要です。例えば、根回しは「メンツを保つこと」や「上下関係への配慮」が目的とされることが多く、それに比べるとバックステージ・ネゴシエーションは「利害調整」や「衝突の回避」が目的とされることが多いです。根回しのほうがより序列や秩序を重視している点がポイントですね。海外でも他者のメンツに配慮しなくていいわけではないのですが、日本では西洋社会よりもメンツや体面が重視されると考えられています。

「社内政治のない会社」はディストピア?

――ということは、社内政治を根絶することはできない?

木村:根絶は事実上できませんし、それが望ましいとも言えません。例えば、仮に社内政治を根絶して、あらゆる意思決定をオープンな場で行うことにしたとします。このような透明性にはメリットもありますがリスクもあります。たとえば、誰かの意見に反対する際には、面と向かって反論しなければいけません。相手の年齢や役職がはるかに上ならばハードルが高いでしょうし、逆に躊躇するあまり一切の反論ができなくなるかもしれません。感情的な対立は助長され、組織運営にも支障をきたすでしょう。つまり、人間がフォーマルな場ですべての本音をさらけ出して仕事を進めることは難しいので、社内政治のような非公式なコミュニケーションを通じた他者との利害調整が必要なのです。

――ITの力を使っても無理でしょうか。例えば、ITシステムに意見を入力して、無記名の形で意思決定に反映するといったように。

木村:それでも完全に政治をなくすのは難しいと思いますね。というのも、仮にシステムに対してでも、人間は本音で入力するとは限りません。特に企業組織は「評価」や「出世」と不可分です。同期や同僚との競争で勝ち抜くためにも、「自分は組織にとって有用な存在である」とアピールしたいでしょうし、ありのままの本音やその背景にある個人的な事情を吐露するのは避けたいはずです。家族で例えると分かりやすいと思いますが、いくら夫婦だからといってスマホの情報や検索履歴を開示するのは嫌でしょう?

――……私は嫌ですね。

木村:スマホと仕事では公私の隔たりがあるかもしれませんが、仕事にもプライベートな事情は大きく関わってきます。キャリアビジョンや仕事へのモチベーションは、プライベートからの影響が特に大きいです。恋人と喧嘩をしていたら仕事へのモチベーションは下がるでしょうし、持病や介護の悩みで退職を考える人も少なくない。そうした個人的な背景をすべてオープンにしたい人はそう多くはないはずです。しかも、最近では、企業はコンプライアンス上、従業員のプライベートに干渉することを避けています。つまり、フォーマルな場で共有できる情報には限界があります。その意味では、これからの企業社会では、社内政治を含む非公式なコミュニケーションがより重要になると言えるかもしれません。

「忖度」できる人物は「忠告」も得意である

――しかし、社内政治を「無駄な仕事だ」「ブルシットジョブだ」と嫌う層は少なくないように思います。特に若いビジネスパーソンには多い印象です。

木村:まず前提として「社内政治=ブルシットジョブ」ではないという点には注意が必要だと思います。あらゆる社内政治がらみの仕事が会社にとって役に立つわけではありませんが、かといってすべてが不要というわけでもありません。しかも、不要かどうかは立場によって判断が分かれることも珍しくありません。

 例えば、ある企業で特定の支社の予算削減が決まったとします。その決定に反発する人々を説得するのは「ブルシットジョブ」でしょうか。無関係の部門や従業員からすると、経営陣が予算削減の決定をしたのだから唯々諾々と従うべきと考えるかもしれない。しかし、支社には支社なりの事情もあるでしょうし、最終的には従うにしても、感情的なわだかまりはできる限り解消しておいたほうが、後の組織運営への影響は少ないはずです。

 このように、社内政治の行動が無駄かどうかは、立場によって評価が異なります。私たちがもし、上司のゴマすりや根回しを「無駄だ」と感じたとしても、それはもしかすると、社内の利害関係や組織構造にまだ見えていない部分があるかもしれないのです。

――おっしゃることは分かるのですが、社内政治から生まれる同調圧力の危険性もありませんか? 社内の同調圧力が「忖度」や「集団浅慮」の温床になって、巨大な不祥事に繋がる例が近年少なくありません。

木村:勘違いされやすいポイントなのですが、社内政治に卓越しているからこそ同調圧力を打破できることもあります。例えば、「忖度」は安倍政権下の森友学園問題をきっかけに人口に膾炙しましたが、もともとは「他者の心中を推しはかって配慮する」という中立的な意味合いです。言葉にネガティブなイメージが張り付いているだけで、忖度そのものは何らやましい行動ではありません。むしろ、経営陣や上司の心中を推し量れているからこそ、相手に響きやすい忠告ができることもあります。その際には社内政治のスキルが欠かせません。

 「集団浅慮」についても同様ですね。集団浅慮は「全員一致を優先する志向が強まり、他の意見を軽視する」という思考の低下です。これは、上層部に権力が偏っていたり、文化や習慣による拘束力が強かったりすることが原因になりえます。そうした環境では同調圧力に対して異論を挟むことのリスクが極めて高くなります。しかし、社内政治に卓越した人は発言を作り込むスキルも高いので、同調圧力のなかでもリスクを回避しながら異論を呈せます。

 このように、社内政治は、必ずしも個人の出世や利益のためではなく、組織を守るためにも利用できるツールです。だからこそ、有意義に活用できるよう、社内政治について学ぶ必要があるわけですね。

「対立」ではなく「共存」のための社内政治を

――「社内政治は有意義に使え」と。まるでホワイトハッカーのようです。ところで、社内政治のスキルはトレーニングで鍛えられるものなのでしょうか。

木村:他のスキルと同様で一朝一夕で獲得できるものではありませんが、学習による習得は可能です。例えば、組織論では、組織内の人間関係や文脈を理解する能力を「社会的鋭敏性(Social Astuteness)」と呼びますが、これは過去の事例やパターンを学ぶことで鍛えられると思います。もし社内政治のスキルを伸ばしたい同好の士がいるなら、社内の人間関係や利害関係の情報を持ち寄って、過去の事例を分析する研究会を開くのもよいかもしれません。

――「社内政治研究会」ですか!? やや不穏な集団にも見えますが…。

木村:ただし、注意すべきは悪巧みのために学習しないことですね。社内政治を権謀術数に利用しようとするのは倫理的にも問題がありますが、それ以上にスキルの向上を妨げます。社内政治を自己の利益のために学ぶと、自分を主体にしてケーススタディを分析してしまうので、客観的な検証が疎かになりがちです。過去の事例を客観的な視点から調べて、考える。その繰り返しがスキルの習得を促進するので、社内政治を学習する際には、ぜひ邪念を傍に置いてからのぞんでほしいです。

――お話をお伺いして、社内政治に対するイメージが変わったような気がします。最後に、社内政治に悩む読者に向けてアドバイスはありますか。

木村:身も蓋もないかもしれないのですが、どんな組織に属しても面倒な人間関係や嫌いな同僚との接触は避けられません。私自身も民間企業での勤務経験があり、社内政治に巻き込まれて嫌な思いをしたことがあるので、組織における人間関係のままならなさは身に沁みて理解しています。

 そうしたときに、多くの人は「対立」の構図で人間関係をイメージしがちです。ドラマやマンガでは主人公とライバルが敵対して物語が展開されるので、私たちは自然と人間関係を「敵」と「味方」の枠組みで理解することに慣れています。

 しかし、それは果たして生産的な思考法でしょうか。もし個人レベルでは敵対する相手だったとしても、組織レベルで俯瞰すると、それぞれが与えられた役割を果たしているだけかもしれません。あるいは、意見の対立が同調圧力を和らげ、風通しのよい組織風土を築くきっかけになっているかもしれない。そう考えてみると、「対立」ではなく、「共存」さらには「協力」の構図で相手との関係を見直せるのではないでしょうか。

 『社内政治の科学』には、そうした視点を養える知見を最新の研究成果をもとに凝縮しています。社内政治が嫌いな方、社内政治に長けた同僚を疎ましく思う方、そんな皆さんにこそ、ぜひ読んでいただきたいと思っています。

■書誌情報
『社内政治の科学 経営学の研究成果』
著者:木村琢磨
価格:2,200円
発売日:2025年11月14日
出版社:日経BP

関連記事