Netflixで注目の『フランケンシュタイン』 200年以上前の原作小説の内容と読んでおきたい副読本

 アカデミー賞監督ギレルモ・デル・トロ監督の最新作『フランケンシュタイン』が2025年11月7日よりNetflixで独占配信開始された。

 人造人間の代名詞的な存在として知られる「フランケンシュタイン」は最も有名なモンスターの一つだろう。『ヘルボーイ』(2004年)では悪魔、『パンズ・ラビリンス』(2006年)では妖精、『パシフィック・リム』(2013年)では"KAIJU"(怪獣)、『シェイプ・オブ・ウォーター』(2017年)では半魚人とデル・トロは一貫して異形の者を自身の作品で取り上げてきた。30年を超える彼の映画監督人生において『フランケンシュタイン』を取り上げたのは「満を持して」と言った印象である。

 さて、あまりにも有名な「フランケンシュタイン」だが原作小説の内容を知っているだろうか。刊行されたのは1818年、200年以上も前の古典である。作者はメアリー・シェリー。当時の社会情勢から圧倒的に男性が多い古典文学界において、かなり珍しい名前の残っている女性作家である。夫は詩人のパーシー・ビッシュ・シェリーで、こちらは英文学史を勉強すると必ず名前の出てくるロマン派を代表する詩人の一人である。クレジットを見て興味から原作者を調べた方は、そんないかにも「真面目そうな」文学分野の作品が原作とは思わなかったことだろう。筆者は学生時代に英文学を専攻していたが、筆者が所属していたゼミで一年かけて取り上げたのが『フランケンシュタイン』だった。筆者に限らず英文学専攻で学生時代に本作に何かしらの形で触れた方は珍しくないだろう。

 そしておそらくもう一点、予備知識ゼロで『フランケンシュタイン』をご覧になった方は大きな誤解に気づいたはずだ。それは「フランケンシュタインは人造人間の名前ではない」ということだ。フランケンシュタインはその怪物を作った科学者の名前でヴィクター・フランケンシュタインという立派なフルネームを持っている。人造人間の方は「クリーチャー」「怪物」「悪魔」など作中では物騒な一般名詞で呼ばれるのみで固有名詞を持っていない。何度もアレンジを加えられて映像作品、マンガ、アニメ、ゲームなどに登場するフランケンシュタインだが実は本当は「名無し」なのである。現役作品だと『Fate/Apocrypha』(2017年)および、サービス配信中のゲーム『Fate/Grand Order』に女性の姿になった「フランケンシュタイン」が登場するが、実は真名ではない。「ヴィクター・フランケンシュタインの生み出した人造人間」と設定上説明はされており、本当は「名無し」が真名である。

 同作に限らず、多くの「フランケンシュタイン」として登場する作品は本来の姿から大きくかけ離れた姿で描かれている。特に「フランケンシュタイン」と名の付く作品に大量に出演したボリス・カーロフはフランケンシュタイン(の怪物)俳優として有名だが、登場する多くの作品で描かれているのは原作から大きく乖離した姿である。では、「本来の」怪物はどのような姿だったのだろうか?

■悲しきモンスター

 原典『フランケンシュタイン』の物語のあらすじを知りたい方はwikipediaなどを読んでいただいた方が早いと思うが、何も物語の説明をせずに先に進むことはできないので最小限の説明だけはここでしておこう。

 まず本作には3人の語り手が登場する。イギリス人で北極探検隊の隊長ロバート・ウォルトン、スイス人で科学者のヴィクター・フランケンシュタイン、そのフランシュタインが作った怪物である。物語の大筋は「フランケンシュタインの生い立ちと怪物を作るまで」、「怪物が自らの出自を呪いフランケンシュタインの親しい人たちを次々と手にかけていく過程」、「フランケンシュタインが自らの作った怪物に復讐を誓い追いかけていく結末」で大まかに全体が三巻に分かれている。語りが入れ子構造になっており、探検隊のウォルトンが故郷の姉に充てた手紙に怪物を追って北極までやってきたフランケンシュタインから聞いた話が書かれており、さらにそのフランケンシュタインの口を通じて彼が怪物から聞いた話が語られている。

 その結果、物語はまるで各人の肉声を聞いているかのような効果が発揮されている。同じく19世紀のイギリスで生まれた『吸血鬼ドラキュラ』も、三人称の語り手を用いず登場人物が書いた書簡や記事という形式で物語が語られる。こちらは『フランケンシュタイン』よりもかなり娯楽寄りの内容だが、語りの効果については似たものを感じる。

 原作の『フランケンシュタイン』をお読みになった方は、「ただの悪役」「モンスター」と一般的には記号的に描かれがちなフランケンシュタインの怪物におそらくは大きく異なる印象を持たれることだろう。怪物は「悪役」というよりも「主人公の一人」と言った風合いのかなり大きな存在感をもって描かれている。自らの意志に関係なく生み出された怪物は、造物主であるフランケンシュタインから「甦ったミイラとてあれほどおぞましい姿はしていますまい」(芹澤恵・訳)と生み出されて早々に放逐されてしまう。

 その後、怪物は言葉を学び、文化を学び、人間らしい情緒や知性を身につけていくのだが、致命的なことに怪物は醜かった。醜さゆえにいくら善行を積んでも受け入れられず、やがて自らを作り出して勝手に放逐した造物主・フランケンシュタインを憎むようになる。そこにはただの記号的な悪党ではない、確かな悲哀がある。「たとえこの世を去ろうとも、それを嘆く者もない。風貌はおぞましいほど醜悪で、身体つきは並外れてでかい。これはどういうことなのだ? おれは誰だ? 何者なのだ? どこから来て、どこへ向かえばいいのか?こうした疑問があとからあとから湧いてくるのだが、おれにはそれを解くことができぬのだ。」(芹澤恵・訳)。怪物でありながらこの心情の吐露はあまりにも人間らしい。

■『フランケンシュタイン』から影響を受けた作品『フランケンシュタイン』へ影響を与えた科学理論

アラスター・グレイ(著)高橋 和久(訳)『哀れなるものたち』(早川書房)

 「フランケンシュタインの怪物がもし醜くなかったら?」というifの物語が映画化されて評判になったアラスター・グレイ(著)高橋 和久(訳)『哀れなるものたち』(早川書房)だろう。赤子同然の状態で生み出されたベラ・バクスターは同作におけるフランケンシュタインの怪物に相当する存在だが、彼女はただの一度であっても一人ではなかった。

 名無しでもなく、本物の父母はいなくても造物主で育ての父がいて、パートナーもいる。『フランケンシュタイン』を裏返したような作品として『フランケンシュタイン』を知ってから読み返してみると色々と思うところもあるのではないかと思われる。

 

アレックス・バーザ(著)プレシ南日子(訳)『狂気の科学者たち』(新潮社)

 また、少々蛇足かもしれないのだが『フランケンシュタイン』についてもう一冊副読本を挙げておきたい。アレックス・バーザ(著)プレシ南日子(訳)『狂気の科学者たち』(新潮社)である。フランケンシュタインは命無き肉の塊に電気を通すことで怪物に生命を与えていたが、これは原作刊行当時における最新の科学実験がもとになっている。『狂気の科学者たち』第1章に1780年、イタリアの解剖学者ルイージ・ガルバーニが電気の火花が死んだカエルの足を動かすことを発見したと取り上げられている。

 この「ガルバーニ電流」理論は19世紀以降にイギリスにも伝わり、イギリスでは1840年代に至るまで死体に電流を流す実験が行われていた。ギレルモ・デル・トロ監督版の映画では原作に存在しないイギリスでの実験のくだりが登場するが、映画劇中通り19世紀のイギリスでは絞首刑になった死体に電流を流す実験が行われた記録が残っている。デル・トロはおそらくその事実を元にしたのだろう。ガルバーニ電流については1831年改訂版『フランケンシュタイン』の作者メアリー・シェリー自身による前書きでも言及されており、作者自身も影響をはっきり認めている。

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