定年後は「嫌な人」と付き合う必要はないーー知の巨人、佐藤優による“超”常識的な「孤独」のススメ

定年後は常識に従え

 現代を生きる「知の巨人」である佐藤優が、〈これまでの人生の集大成〉だともいう最新刊にして初の老後論『定年後の日本人は世界一の楽園を生きる』(Hanada新書)を上梓した。ある意味挑発的なタイトルとは裏腹に、きわめて常識的な「暮らしマニュアル」のようにも見える。

 佐藤はこう記している。〈インターネットの情報は無料だが、信頼性が低いものも多い〉、〈読書が情報を得るために最も安価で確実な手段である〉、〈60歳を過ぎてから起業などすべきではない〉、〈素人が最も避けたいのは、FXや暗号資産への投資。これらは投資というよりも投機やギャンブルに近い〉、〈定年後の人たちは、嫌いな人たちにまで交友範囲を広げて、それを維持する必要はない〉、〈定年後に農業を始めるのは無理〉。どれも意外なほど真っ当な主張だ。

 問題は、いまのこの世の中で失われつつあるものこそが、こういった常識である、ということだ。すこしネットの世界をのぞけば、「投資で億万長者になれる」、「メディアが報じることができない真実を教えます」といった怪しい言葉が飛び交い、もしかするとそちらのほうが正しいのではないかと思わされるくらい勢いがある。

 しかしそんな時代にあっても、大事なのはやはり「常識」なのだ、と佐藤は言うかのようだ。うまい話には裏がある。詐欺師ほど自信満々に振る舞う。きちんとした意見は当たり前すぎて目立たない。

 さらに佐藤は、具体的に次のように述べていく。〈[もし投資をするのであれば]持ち家のある人は300万円まで、賃貸の人は1000万円まで貯蓄してそこから投資をスタートさせる〉、〈定年後も良好な夫婦関係を保つためには、家庭から離れた自分だけの時間と空間を確保することがポイントとなる。いわば「隠れ家」を作るのだ。経済的に許されるのであれば、自宅の近くにワンルームマンションを借りることを勧めたい〉、〈介護に関しては、自分だけでは抱え込まないことだ。可能な限り[「地域包括支援」センターに相談するなどの手段をとおして]介護サービスを利用すべきである〉。

 このように、定年後の自分と家族の生活を守るための金銭的な目安や相談先が提示される。もちろんこのほかにもさまざまな情報が本書にはあふれている。それをチェックして学び、暮らしの参考にするだけでも、本書を読む価値は十二分にある。ただし、本書の真価はそれだけではない。

「孤独」こそ〈世界一の楽園〉への入り口である

 たんなる暮らしマニュアルとはちがう、本書の真骨頂とはなんだろうか。常識に則って行動すれば、自分と家族の生活を守ることはできるかもしれない。ただそこでひとは、この人生はなんのためにあったのか、そしてあるのか、という問いと向き合わざるを得ないのではないか。

 もちろんそんなことはだれも教えてくれない。自分で探求するしかない。そのための営みこそが読書であり、勉強である。そして、それこそが人生最大の喜びなのではないか。それがじっくりできることこそが、いまの日本で定年後を生きることの最大のメリットではないか、と佐藤はわれわれに語りかけるのである。ある意味でそれは「孤独」な老後かもしれない。しかし、「孤独」であるということはイコール不幸であることではない。

 〈孤独は優れた精神の持ち主の運命である〉(ショーペンハウアー)という言葉を佐藤は引用する。ここで言う「孤独」とは、生活をともにする人も友人もまったくいない「孤立」とは異なった意味だろう。これまでの人生で出会った数少ないほんとうに理解しあえる友人とたまに会いながら、家族と堅実に暮らす。そして悠々自適に書物や趣味と向き合う。そういった生活こそが、佐藤が本書のタイトルとしている〈世界一の楽園〉である。

 本書は、そうした豊かな生活のためのマニュアルさえも、具体的に示してくれる。

 〈定年後の人たちが自分の卒論を見直し、参考文献を再読して、続編に取り組み、それを5年ほど継続すれば、もはやその分野の専門家になれる。すると、勉強会などで同好の士と出会い、教養の連鎖が発生する〉、〈[古典を勉強し直すには]筑摩書房の『精選国語総合現代文編古典編学習書』『古典B古文編・漢文編学習書』。これで十分〉、〈[思想を学び直すには]特に山川出版社から出ている「もういちど読む」シリーズの『もう一度読む山川倫理』を勧めたい。この山川のシリーズはほかの教科書も秀逸だ〉、〈理数系の本としてすすめたいのは、講談社の「ブルーバックス」シリーズに収録されている『素数入門 計算しながら理解できる』『数論入門 証明を理解しながら学べる』だ。とても理解しやすいうえに、内容が面白い〉。

 もちろん本書には、このほかにも具体的な学びのヒントが無数に埋め込まれている。

 仕事の忙しさや出世競争のストレスから解放された定年後こそ、そうやって学習の基礎から固め直し、自らの学びたいことを学ぶ。そのための「孤独」な生活を選ぶ。これほどの贅沢がこの世にあるだろうか。そしてそのためにこそ、常識的で保守的な暮らしをするべきなのだ。と、佐藤は呼びかけるのである。

■書誌情報
『定年後の日本人は世界一の楽園を生きる』
著者:佐藤優
価格:1,089円
発売日:2025年9月18日
出版社:飛鳥新社
レーベル:Hanada新書

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