第172回芥川賞候補5作品を徹底解説 安堂ホセは3度目、乗代雄介は5度目のノミネート どの作品が受賞なるか
永方佑樹「字滑り」(『文學界』10月号)
〈「そうそう、例の字滑り。字とか声とかが滑っていったり、欠けていったり、まあそれは日本語の場合で、聞いたところによると別の言語では言葉が膨れたり、溢れちゃうようなパターンも色々、それぞれらしいよ。とにかく日本語の場合は表記が揺れて、一つの表記に自分の声や文字が挟まっちゃうっていう、例のやつ。」〉
いま取り上げた竹中と同様、詩人として活動してきた著者が、初小説で、初候補入り。これもプロフィールによれば、詩集『不在都市』(2018年)で、第30回歴程新鋭賞を受賞したほか、詩を発展させたパフォーマンスを国内外で行なっているそう。
突如世界各国で発生した謎の現象「字滑り」。感染すると一時的に、ひらがな・カタカナ・漢字のいずれかのみしか使えなくなるらしい。登場人物は、節電した薄暗いオフィスで昼食をとるモネ、「字滑り」を考察するブログを運営する大学生の骨火、「人と関わらない仕事」への転職を考えて求職サイトを眺めるアザミ。ばらばらに生きてきた三人は、「地滑り」が頻繁に起こるのを売りに、新たに開業した福島県・安達ヶ原の宿泊施設に集められた。三人はやがてその地に、「字滑り」現象とよく似た「山神さま」なる存在の伝承が存在することを知る。
読めば明らかだが「字滑り」は、新型コロナウィルス流行と東日本大震災における放射能汚染をいやおうなく連想させる。他方、言語が主題という点ではたとえば、九段理江『東京都同情塔』(2024年)が作り出した潮流に連なる作品とも言える。そうした言語SF的な設定をベースにしつつ、館ミステリになり、集落ホラーになり、民間伝承幻想文学になり、タイトルさながらにジャンル的な読み味が横滑りしてゆくのがエキサイティングだった。作品の畳み方も好み。「字滑り」という冒頭の設定こそ突飛だが、「言葉が滑る」というイメージのもと、日常に潜在するコミュニケーションの齟齬や、言語なるもののスムーズな運用不可能性に思い至らせる描写が、じつは緻密に書き込まれており、著者の言葉への確かな観察眼が窺えた。
乗代雄介「二十四五」(『群像』12月号)
〈書くことがあたかも生きるに値するかのような刷り込みは、こうして巧妙に仕遂げられたのであった。〔……〕その甲斐あって家を出て過ごした二十四五の私は、この世界がどんなに魅力いっぱいで、もしくはすっからかんだとしても、腰を据え背を向ける位置を落ち着きなく変えながら一人書くことを覚えた。〉
過去に「最高の任務」(2019年)、「旅する練習」(2020年)、「皆のあらばしり」(2021年)、「それは誠」(2023年)と4作の新作が満を持してノミネート。
幼馴染と結婚する弟の式に出席するために「私」・阿佐美景子は、仙台を訪れる。だがそれは、5年前に死んだ「私の知りたいことなら何でも知っていた叔母」の「ゆき江ちゃん」との約束を果たすための旅でもあった。そして、ある偶然の出会いが「私」の心を解きほぐしてゆく。
もちろん、独立した作品として読むことも出来るが、デビュー作「十七八より」(2015年)以来、「未熟な同感者」(2017年)、「最高の任務」、「フィリフヨンカのべっぴんさん」(2021年)と、作家が書き連ねてきた女性主人公・阿佐美景子の物語につらなる、連作でもある(古川真人『背高泡立草』(2020年)の例があるので、続きものには芥川賞を受賞させない、ということではなさそう)。ともあれ、阿佐美景子のシリーズを追ってきた読者にとり、デビュー作「一七八より」でまだ中学生になったばかりだった彼女の弟が結婚する本作は、単純に感慨深い。
『抒情歌謡集』や『クレーヴの奥方』などのブッキッシュな話題が挿入されるのも乗代らしいが、なかでもわかりやすく意味を持つのはやはり、景子が生前叔母に最後に貸したマンガであるという、ヤマシタトモコ『違国日記』だろう(ちなみに、貸しっぱなしだった同作「第1巻」を回収しに行く場面は「フィリフヨンカべっぴんさん」で、すでに描かれている)。本作で景子は『違国日記』という叔母と姪の物語の「最終巻」を、ある人物に受け渡す。著者が描き続けた阿佐美景子という存在が、かつての自身にとっての叔母のようなメンター的存在に変容しつつある瞬間を捉えた、作家の大きな節目となる作品なのではないか。
個人的には、あいかわらず乗代氏に受賞してほしい。次点は、安堂氏。ただそれだと(ノミネート回数的に)無難すぎるので、初候補の鈴木氏が食い込んでくると嬉しい。