追悼・谷川俊太郎 あまりにも大きく、長くて広いその偉績を振り返る
こうした谷川俊太郎さんの影響が、創作の世界に何らかの影響を与えていることは確かだろう。童話であったり詩作であったり、それこそ『鉄腕アトム』の主題歌といったものも含めて、言葉の選び方や使い方、着想の豊かさを子供の頃に浴びて言葉づかいの基礎を得たり、飛躍する発想力を養ったりした結果が、日本の多彩な創作物の上に現れている可能性は低くないだろう。それが具体的にどれだと指摘することは難しい。人によって得てきた谷川俊太郎さんが、大きくて長くて広いその偉績の上に散らばっているからだ。
もしかしたら、平板な言葉を選んでリズミカルにつなげていく文法が、読みやすいライトノベルの上に現れているかもしれない。「二十億光年の孤独」のような遠くを思う気持ちが、ファーストコンタクトを描くSFとして結実しているかもしれない。翻訳を通した『ピーナッツ』の日本での普及がキャラクターの人気を今につないで、各地にショップができる状況をもたらしているかもしれない。「うんこ」「うんち」といった、人によっては苦手なものを詩にして身近にしたことで、詩の可能性を広げつつ世の認識を変えたかもしれない。そうした影響はきっと残り続けるだろう。繋がれてもいくだろう。
Noritakeのイラストで2019年に刊行の 『へいわとせんそう』(ブロンズ新社)に描かれた、同じ行列、同じ父親でもでも違う「平和」と「戦争」の姿に触れて、どちらを選ぶかを考える子供たちも、これからも登場してくるはずだ。「戦争が終わって平和になるんじゃない。平和な毎日に戦争が侵入してくるんだ。」という刊行に寄せた谷川俊太郎さんの言葉が、さらに染みてくるようになった時代だからこそ、残された著作の意義はこれからどんどんと高まっていくだろう。
大きすぎるし長すぎるし広すぎる谷川俊太郎さんの偉績だが、どこからどれに触れても何かを得られることは確かだ。改めてそのことを思い、振り返っていきたい。