冤罪を晴らすのはいかに困難か……明治・大正の事件を扱った注目の新刊ミステリ2冊を千街晶之が読む
■冤罪を扱うミステリ小説の新刊が立て続けに登場
1966年に静岡県で一家4人が殺害された所謂「袴田事件」において、逮捕・起訴されて死刑判決が確定した袴田巌氏の無罪が、2024年、東京高裁における再審でようやく確定した。この事件が冤罪を生み、真犯人が法網を逃れる結果となった原因に関しては、威圧的な取り調べ、証拠品の捏造疑惑などさまざまな問題点が指摘されている。
昭和40年代の事件でそれなら、民主警察でもなく科学捜査の水準も低かった明治・大正時代ならば、冤罪の証明はいかに難しかったことか。そのような発想から生まれたと思しき、ある意味タイムリーなミステリ小説が、このところ立て続けに発表されている。
まず、芦辺拓『明治殺人法廷』(東京創元社)を紹介しよう。『大鞠家殺人事件』で第75回日本推理作家協会賞と第22回本格ミステリ大賞を受賞するなど、本格ミステリを中心に息の長い執筆活動を続けてきた著者によるこの小説は、明治20年から幕を開ける。旧幕臣を父に持つ探訪記者の筑波新十郎は、明治政府が自由民権活動家を一掃するため発令した保安条例に引っかかり、東京から追放された。翌年、大阪に流れついた彼は警察の留置場に放り込まれてしまうが、そんな彼を救い出したのは、駆け出しの代言人(今で言うところの弁護士)・迫丸孝平だった。
その大阪で、質屋を営む堀越一家と奉公人の合わせて6人が惨殺されるという事件が起きた。生存者は赤ん坊のほかは、堀越家の親族の子だという信のみ。現場となった家は密室状態であり、信が犯人として警察に連行されてしまう。死んだ堀越家の当主と縁があった孝平は、信の弁護を担当することになったが……。
この小説の終盤3分の1ほど(第七章以降)は、ほぼ法廷シーンで占められている。ただし、この法廷を現在のそれと同じものだと考えてはならない。2024年4月から9月まで放映されたNHKの朝ドラ『虎に翼』は女性裁判官の一生を描いた作品だったが、戦前の法廷のシーンで、検察官が裁判官と同じ上段に陣取っていたのに対し、弁護士が彼らより低い場所に席を与えられていたことをご記憶の方も多いだろう。
当時、弁護士は裁判官・検察官より格下とされ、司法省の監督下におかれ、国家権力からの独立性を認められていなかった。一応は近代的な弁護士法が制定され、代言人ではなく弁護士という名称で呼ばれるようになったのは明治26年であり、そこから5年前である本作の頃は、その段階にすら及ばない時期だった。第八章で孝平が弁護士として被告人の無実を主張した瞬間、裁判長が取った態度には誰もが驚かされるだろうが、刑法を盾に取ればこんな無茶苦茶が通った時代だったということである。
そんな絶対的に不利な状況で、新十郎と孝平はいかにして信の無実を証明するのか。プロローグの時点で既に罠が張りめぐらされているため、法廷に集った面々のみならず読者も事件の真相には驚愕するに違いない。思いがけない実在の人物が登場するなど、山田風太郎の明治小説も連想させる重厚な時代本格ミステリである。