佐久間宣行が注目する若手作家・小原晩対談 話題作『これが生活なのかしらん』と「創作」について

  現在話題となっているエッセイがある。小原晩の『これが生活なのかしらん』(大和書房)だ。小原氏が自らインディー出版として発行した『ここで唐揚げを食べないでください』が独立系書店や読者家たちの口コミによって話題を集め、1万部を超えるヒットとなり、ついで発表された本作も話題を集めて、重版につぐ重版で着実に部数を伸ばしている。 そんな小原氏の2冊の書籍に注目しているのが佐久間宣行氏だ。

  佐久間宣行のYouTubeチャンネル「NOBROCK TV」や自身のXでも小原氏の書籍を紹介。その才能を高く評価している。今回はそんな佐久間氏と小原氏によるリモート対談が実現。小原氏の書籍の魅力に触れながら、2人が思う「言葉」と「創作」について語り合っていただいた。

佐久間宣行(写真左)は小原晩(写真右)の才能を高く評価する

■ムチャムチャ良かった『これが生活なのかしらん』

――佐久間さんは、お笑いユニット・ダウ90000の蓮見翔さんにすすめられて、小原さんのデビュー作『ここで唐揚げ弁当を食べないでください』を読まれたんですよね。

小原晩(以下、小原):SNSでもご紹介いただき、本当にありがとうございました。

佐久間宣行(以下、佐久間):いえいえ。最初は「なんかいいな」ってくらいの印象だったんですけど、今作の『これが生活なのかしらん』は、予想を超えて、めちゃくちゃよかったです。文章の輝きが段違いに増した気がするんですけど、なにか意識的に変えたことがあったんですか?

小原:スタンスはほとんど変わっていないんですけど、『唐揚げ』のときは自分ひとりでつくったので、文章をチェックしてくれる編集さんも校正さんもいないし、経歴のひとつもないので、しっかりとした文章で書かなければならない、舐められないようなものを、という意識があったのは確かです。今作は、何か間違いがあったら正してくれる人がいるので、より好きなように書けたのかもしれません。

佐久間:おっしゃるとおり、今作のほうが、圧倒的に自由なんですよ。とくに家族にまつわるエピソードは、『唐揚げ』のときは、ちょっと肩に力が入っている感じがしたんですよね。舐められちゃいけないぞって気持ちが出たのかもしれないけど(笑)、ほかのエピソードに比べても、ちゃんとした作品にしなくちゃという気概が感じられた。

小原:そういう部分はあった気がします。今も、実在する人のことを書くときは、やっぱりちょっと気を遣ってしまうし、何もかもを曝け出せるわけではないんですけど、今作では子どものころのエピソードから今につながる過程を書けたので、かたくなりすぎずにいられたのかもしれません。

佐久間:家族だけでなく、友達や恋人も、ちゃんと小原さんの過ごした時間のなかで生きている、という感じがしました。時間とともに多くのものが通りすぎていくなかで、それでも自分のなかに残り続けるものを一つひとつ言語化されているところも、好きでしたね。僕はもう十年くらい、ロロという劇団の舞台を観続けているんだけど、彼らの作品にも「自分のなかに生き続けている、失われたもの」みたいなテーマを感じるときがあって。小原さんの文章からも、そのときどきで味わった感情や、誰かの想いみたいなものを、積み重ねて今を生きているんだろうなというのが伝わってきました。

■一流のエッセイストにとって不可欠な才能とは

最新作『これが生活なのかしらん』を手にする小原晩

――とくに印象に残っているエピソードはありますか?

佐久間:友達との三人暮らしやお兄ちゃんのエピソードも好きなんだけど、印象的なのは「はたらくにんげん」かな。美容師の仕事をしているとき、カットモデルに声をかけるハントの成績が小原さんはとてもよかったんだけど、もっとすごい先輩のやり方をまねしようとしたら、全然成果をあげられなかった。〈私は未熟者なのに、すでに内面的な私らしさを有しているということだ。たった十八年が、これまでの十八年が、私のなにを形作ったのか。〉という文章が、とても響きましたね。

小原:うれしい。もう、うれしいとありがとうございますしか言えない。

佐久間:働く人間というものが、僕はそもそもとても好きなのだけど、仕事をしていると自分にできることとできないことがあるのだと、如実に突きつけられるじゃないですか。僕もそうだったなあ、と思い出しました。小原さんのエッセイは、小原さんのごくごく個人的な体験を描いたものなのに、ちゃんと普遍性があって、自分の記憶をさまざまに呼び覚まされる。それは、一流のエッセイストに不可欠な才能だと思います。あと、基本的に文章にユーモアがありますよね。

■深夜に布団の中で観た『ゴッドタン』の衝撃

――小原さんは、昔からお笑いがお好きだったんですよね。

佐久間:ああ、なるほど。確かにエッセイも、漫才もコントもやるAマッソの単独ライブみたいな雰囲気がありますよね。

小原:おそれおおいです……! 私はずっと、佐久間さんのつくられる番組が好きで。ご著書も読んでいます。小学生のとき、どうしても寝られない日があって。深夜に起きていると怒られる家だったので、部屋にあったブラウン管のテレビごと布団のなかに入って、しずかに観ていたんです。それが、『ゴッドタン』のキス我慢選手権でした。ちょうど、劇団ひとりさんが女の子のキャミソールをぺちぺちやっているシーンが流れて、「観ちゃいけないものを観た!」と衝撃を受けて。

佐久間:小学生にはたしかに刺激が強いかもしれませんね(笑)。

小原:はじめてロックを聴いたときみたいな感じでした。それ以来、ずっと『ゴッドタン』を観ていますし、おもしろいものをつくり続けてくださってありがとうございます、という気持ちなんです。

■読者の想像する余地を残す理由

――佐久間さんは文章を書くとき、人前で話すときとは違って、なにか意識していることはありますか?

佐久間:これ以上細かく書くと、読者が想像する余地がなくなるな、と思うところは削るようにしていますね。理由は僕の文章をただ受けとるだけじゃなくて、読んだ人のものにしてほしいなと思うから。でもそれは、フリートークのときも同じかもしれない。というのも、僕はしゃべりに関しては素人なので、ラジオでもYouTubeでも毎回台本をつくるんですよ。その作業はエッセイを書くときと似ていて、完成された台本を推敲するとき、余計だなと思う情報はやっぱりそぎ落とします。違うとしたら、本番前に構成作家に読んでもらって、どういう話し方をするのが効くかを相談するくらい。

小原:一から十まで語りきることができるのは本のよさではあるけれど、そのぶん、何を書かないかも選択しなくちゃいけないなとは私も思います。「書かれていない部分は、実際どうだったんですか」と聞かれることもあるけれど、書かれていない部分には必ず書かなかった理由がありますからね。

佐久間:誤解されないように言葉を尽くすことのできるよさもあるから、その塩梅は、やっぱり作家に委ねられますね。映像作品の場合、9割の人には誤解されてしまうという体感があるんですが、本は時間をかけて読んでくれることで、人間性みたいなものも温度とともに伝わる。『これが生活なのかしらん』のように、時系列が乱れていたり、唐突に短歌が挿入されたりしても、この本でいちばん大事なところは、少なくとも7~8割届くような気がします。

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