「嵐」デビュー25周年 本を通してニッポンを盛り上げた、国民的アイドルグループとしての多大なる貢献

 松本潤は、都会から移り住む人が多いという島根県の離島・中ノ島を訪れ、「島の人々」と最後はガッチリと握手を交わすほど熱く語る時間を過ごした。キャスターとして日本の様々な課題を知る櫻井は、奈良県の大和高原にて茶摘みや製茶などの農体験を通じて「農業」の希望を見つめる。そして、根っからのゲーム好きな二宮和也は京都府に本社を構える世界的なゲーム開発企業・任天堂で『スーパーマリオ』の生みの親と対談。さらに東京都のスタジオジブリでは、宮崎駿監督や鈴木敏夫プロデューサーらと「エンターテインメント」を発信していく矜持に触れる。

 もちろん、そんな充実した内容の本に一般販売を望む声が絶えず、翌年にはポケット版の『ニッポンの嵐』(M.Co)として発売。わずか4日で23.7万部を売上げた。ちなみに、発行元の収益はすべて東日本大震災の復興支援のために被災地へ寄付されたというのも、また胸が熱くなる話だ。

 「日本はとても美しく、日本人はとても優しい この確かな気持ちを未来へ」とは、本書の帯に書かれたキャッチフレーズだ。この感覚を、嵐というグループそのものに感じている人も少なくないのではないだろうか。

◼️嵐が「国民的アイドルグループ」であり続ける理由

 嵐を見ていると1人ひとりがスターでありながら、ごく自然に相手を引き立てる謙虚さを感じる場面がある。その理由を考えたとき、2005年に発売された単行本『アラシゴト まるごと嵐の5年半』(集英社)に収録されたメンバーの1万字インタビューを思い出した。

 生まれながら長男気質の櫻井や、小さい頃から動物に囲まれて育ったという相葉の面倒見の良さ。そして、ジュニア時代からコンサートの構成を手掛け続けてきた松本や、デビュー直前に事務所を辞めてアメリカで映画製作を学ぼうとしていた二宮、同じくアイドルではなく絵の仕事に転向しようとしていた大野。5人のメンバーそれぞれが持つ、異なる職人的視点。それぞれ全く異なるバックグラウンドを持つ5人は、何よりも「嵐」という居場所を大切にしてきた。

 『ARASHI SUMMER 2002HERE WE GO!』では、朝まで「今後の嵐をどうするか」「自分をどうするか」「嵐らしさ」について話し合ったという。そうして話し合っていること自体が「十分、嵐らしいと思った」という二宮の言葉に、こちらまで頬が緩んでしまった。嵐という集合体を愛し、引き立て、やがて国民的アイドルグループとなった彼らの姿勢がニッポン全体に広がっていったのではないだろうか。

 みんなで手を取り合って取り組む「愛情深さ」、「真面目さ」、「堅実さ」……嵐を通じて思い浮かぶキーワードが、どれも私たちの理想とする「ニッポン」に通じているような気がする。同時に、そんな彼らの真摯な歩みは、こうしてじっくりと振り返ることができる書籍という形式との相性もいいように思うのだ。そう、まるで愛しいアルバムを紐解くかのように。

 日々、形を変えつつあるニッポン。その誇りのひとつとして、再び嵐が揃って活動する姿も待ち望まれている。再始動された暁には、ぜひまた令和の『ニッポンの嵐』が実現してほしい。嵐の良さ、そしてニッポンの良さを、彼らと共に味わう。そんな未来が待っていることを願わずにはいられない。

関連記事