【漫画】もし亡くなった人と関わることのできるSNSがあったら……妻を亡くした夫の葛藤を描くSNS漫画に涙

ーー本作を創作したきっかけを教えてください。

木綿:もしも亡くなってしまった人と再び関わることができたら、後悔や悲しみは消えるのか。そんなことをずっと、ぼんやりと考えていました。

 また同じ時期にインターネットについて考えていて、インターネットは身近なのに実態が掴めない不思議さがあると感じていました。目の前には存在しないのに、身近に感じてしまうーー。亡くなった人とインターネットに重なる部分があると思い、インターネットを通じて亡くなった人と関わることのできるSNSを思いつきました。

ーーなぜ亡くなった人のことを考えていた?

木綿:私、兄を亡くしておりまして。ただ兄とは仲が良かったわけではなく、もしも兄が生きていたらと考えても、どんなことを話すのか、あまり思いつかないんです。亡くなった兄に対する後悔が薄いこともあり、亡くなった人への後悔について考えていました。

ーー本作の主人公・ナオさんは後悔を抱く人物であったかと思います。

木綿:ナオというキャラクターには甘さがある、と言いますか……。「明日があるから、いつでも後悔を取り返せる」という気持ちで生きている。でも後悔を果たせないまま会えなくなってしまったとき、後悔をいつまでも取り返せないといった終わりのない状態になってしまうーー。

 「終わりがない」ことはとても苦しいことだと思います。そんな終わりがないことに苦しむ人を描こうと思い、ナオを描きました。

ーー終わりがない苦しみから救う存在が作中に登場するSNS「caravan(キャラバン)」であったかと思います。

木綿:「もしも亡くなった人と関わることのできるSNSがあったら」と考えたとき、手が届きそうで届かないものを眺めているときが1番つらいんじゃないかなと思ったのです。

 もしも強い人であれば「caravan」を使いこなすことができたと思います。ただナオは後悔に囚われた弱い人として描きたいと思っていたので、本作のような結末を描きました。

ーー本作の結末に込めた思いを教えてください。

木綿:本作のヒロイン・マリは「私は大丈夫だから心配しなくていいよ」という思いを込めてナオに姿を見せましたが、ナオからすると「私はあなたがいなくても私は生きていける」という姿にも映ってしまうーー。ナオは罪悪感や喪失感と向き合わなければいけない、けれどそう思っている限り2人は多分ずっとすれ違い続ける、そんなことを描きたいと思いました。

 ただ、そもそも「人はそこまで強くない」という思いが私の根底にあります。すれ違い続ける日々への終わりをつくりつつ、ときに後悔を振り返りながら、少しずつ記憶を薄れさせていくことがナオにとっての「救い」かと思い、このラストシーンにしました。

ーー作中に登場するSNSを「caravan」と名付けた理由は?

木綿:砂漠を旅する人たちが盗賊などから身を守るために、集団で旅をすることを「caravan」と言うそうです。よすがを失った人たちが支え合い、長い旅路を生きていく様子が本作のSNSのイメージと重なったため「caravan」と名付けました。

ーー本作を描くなかで印象に残っているシーンは?

木綿:マリが「自分から死んだ人は天国に行けないんだって」と話すシーンです。この言葉は祝福のような呪いと言いますか、主人公の運命を決定づけたシーンとして描きました。

 「生きてほしい」という願いはある意味の祝福であると同時に、呪いと紙一重だとも思います。死の迫った本人が生きたくない、苦しみを終わらせたいと思っていても、大切な人に「生きてほしい」と言われたら死を選ぶことを踏みとどまってしまうでしょう。ただ誰かの「生きてほしい」という思いは呪いでもあるし祝福、愛でもあると思います。

ーー今後の目標を教えてください。

木綿:少しずつでも長く描きつづけることが1番の目標です。今までは「こういう話が描きたい」という思いから作品を描きはじめることが多かったのですが、これからは「こういうキャラクターを描きたい」という気持ちを軸にした漫画も描きたいと思います。「推し」という文化があるように、キャラクターはその人に住み込むものだと思うので、読者に推されるキャラクターを描いてみたいです。

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