「どんでん返しの帝王」ジェフリー・ディーヴァー、国産ミステリへの影響は? 書評家・千街晶之が読み解く

■どんでん返しの帝王の称号、ジェフリー・ディーヴァーとは?

「どんでん返しの帝王」。アメリカ・ミステリ界の大御所ジェフリー・ディーヴァーは、いつしかそのような称号で呼ばれるようになった。長篇では目が廻るような多重どんでん返しで読者を最後の最後まで翻弄し、短篇では剃刀のような切れ味の反転であっと言わせる、現代最強の騙しのエンターテイナーである。

  彼のどんでん返し志向が注目されはじめたのは、1995年のノン・シリーズ長篇『静寂の叫び』(ハヤカワ・ミステリ文庫)あたりからだと思うが、更にその傾向が先鋭化したのは、『静寂の叫び』の2年後に刊行された、四肢麻痺状態の天才科学捜査官リンカーン・ライムと、その相棒の警察官アメリア・サックスのコンビが活躍する『ボーン・コレクター』(文春文庫)からだろう。二人と対決するのは、被害者をじわじわと苦しめて死なせる残忍な連続殺人犯「ボーン・コレクター」。捜査中の事故が原因で頭部と左の薬指以外を動かせなくなっていたライムは絶望して尊厳死を望んでいたが、この異様な事件に興味を掻き立てられて死を延期し、サックスにデータを集めさせ、自らは安楽椅子探偵として真相に迫ることになる。

ジェフリー・ディーヴァー『ウォッチメイカーの罠』(文藝春秋)

  この作品の好評によりリンカーン・ライムはシリーズ・キャラクターとなり、現時点で16の長篇が刊行されている。いずれも、ライムたち捜査チームが一筋縄ではいかない知能犯と対決する内容だが、シリーズ中、ひとつの転機となったのが7作目『ウォッチメイカー』(文春文庫)だ。シャーロック・ホームズにはモリアーティ教授、明智小五郎には怪人二十面相、金田一一少年には「地獄の傀儡師」……といった具合に、名探偵には同格の好敵手が配されることがしばしばあるけれども、リンカーン・ライムにとっての好敵手「ウォッチメイカー」がこの作品から登場するのだ。複雑な時計の歯車のように精巧な犯罪計画を立案する天才であり、ライムが全力で闘うに相応しい相手である。両者の対決は『ウォッチメイカー』で終わることなく、その後も繰り返されてきた。

  さて、多重どんでん返しで読者を楽しませてきたリンカーン・ライム・シリーズだが、流石に最近は、読者がディーヴァー慣れしてきたというか、著者の手筋を読めることが多くなってきたのではないか。そのあたりは著者も自覚しているのか、15作目『真夜中の密室』(文藝春秋)などでは、これまでとは異なるタイプの犯罪者を出すなどして目新しさを出そうとしている。それを思うと、このたび邦訳された16作目『ウォッチメイカーの罠』(文藝春秋)でライム対ウォッチメイカーの対決を締めくくったことからは、ディーヴァーなりの覚悟が窺える気もする。

  この作品では、消息が途絶えていたウォッチメイカーが、ライムを殺害するためにニューヨークへやってくる。だが、彼の目的はそれだけではない様子だ。ニューヨーク市内の建設現場でクレーンが倒壊し、数人の死傷者が出るという事件が起きたが、これもウォッチメイカーの仕業らしい。基本的に、ウォッチメイカーは依頼を受けて、それを果たすために異様なまでに入り組んだ計画を立てる犯罪者であり、事件の表面だけに気を取られていては彼の真の目的は見抜けない。ライムのパートナーであるアメリア・サックスが事件現場に仕掛けられた毒物で危うく命を落としかけるなど、ライムの周囲の人々にも危機が迫る中、正義と邪悪の天才同士の対決はいよいよクライマックスを迎えることになる。名悪役ウォッチメイカーの最後を飾るに相応しい複雑かつ壮大なスケールの犯罪計画と、その裏を読もうとするリンカーン・ライムの頼もしい名探偵ぶりを堪能できる大作となっている。また、ウォッチメイカーのこれまで描かれなかった側面の描写はシリーズの読者を驚かせるだろうし、彼ほどの強敵を格を落とすことなくどうやって退場させるかという点についても要注目だ。最後の数ページにおけるライムの姿は、深い感慨なしに読むことは出来ない。

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