解読『ジョジョの奇妙な冒険』Vol.6

【解読『ジョジョの奇妙な冒険』】荒木飛呂彦はいかにして、あの独特なヴィジュアル表現に辿り着いたか[後編]

 前回は、荒木飛呂彦のデビュー作「武装ポーカー」から『ジョジョの奇妙な冒険』第2部までの「絵」の変遷を辿ってみた。詳しくはそちら(https://realsound.jp/book/2024/09/post-1789606.html)を読んでいただきたいと思うが、要は、初期の荒木飛呂彦とは、横山光輝、白土三平、寺沢武一、しげの秀一、原哲夫といった、その時々の「少年漫画のトレンドセッター」ともいうべき人々の画風を取り入れて、「自分の絵」を作り上げるべく「変化」していった漫画家であった、ということだ。

 むろんそれ以外の、映画、絵画、彫刻、モードなど、隣接する表現ジャンルからの影響も大いに受けていたことだろうが、私は、初期の荒木飛呂彦は、やはり「先人の漫画を糧(かて)に漫画を描いていた作家」だと思っている。

 ただし、これはあくまでも「絵」についての話であり、ことストーリー面においては、デビュー作から一貫して、彼にしか描くことのできない奇想天外な世界を構築し続けていたといえよう。

 また、誤解のないように書いておくが、「絵」についても、ただがむしゃらに時代の流行を追いかけていたというわけではなく、前述した「寺沢武一」や「原哲夫」という名前からは、当時の荒木が志向していた「絵」の方向性が自ずと浮かび上がってくることだろう。

 それは、簡単にいってしまえば、アメリカン・コミックスのリアリズムと、昔ながらの記号的な日本の漫画の絵が持っているケレン味を融合させたヴィジュアル表現だ。これに荒木の元々の資質ともいえる「奇想」を織り交ぜることで、現実とも幻想ともつかない不思議な世界を紙の上に作り出そうとしていたのではあるまいか。

第一回「“ジョジョ”という名の時代を越えたヒーローたちの誕生」
第二回「スタンドという“発明”ーー他に類を見ない表現と概念を考察」
第三回「ツェペリ、リサリサ、ブチャラティ……物語を動かす「メンター」たち」
第四回「岸辺露伴とは何者か――稀代のトリックスターを分析」
第五回「荒木飛呂彦はいかにして独特なヴィジュアル表現に辿り着いたか【前編】」

 

イタリア旅行が荒木飛呂彦の「絵」を変えた

 さて、今回(後編)は、『ジョジョの奇妙な冒険』第3部以降、いかにして荒木飛呂彦が、あの独特なヴィジュアル表現に辿り着いたのかを考えてみたいと思う。いや、「考えてみたい」も何も、実は答えはすでに出ているのだが、まずは、荒木の著書『荒木飛呂彦の漫画術』(集英社新書)から一部を引用してみよう。

(引用者注:デビュー以降、「自分の絵」を作り上げるための試行錯誤を繰り返していて)突破口を開くきっかけになったのは、『ジョジョ』の連載が始まる前に行ったイタリア旅行です。

 僕の絵の特徴を一言で言えば、「ポージング」ということになるのでしょうが、それはこのイタリア旅行で得たものでした。

 ちなみに、別の本では、初めてイタリアに行ったのは「1987年」ともいっているので、「『ジョジョ』の連載が始まる前」というのは荒木の記憶違いかもしれないが(注・同作の連載開始は1986年末)、どちらにしても、かの地でさまざま芸術作品に触れ、とりわけ、ベルリーニの彫刻「アポロとダフネ」に衝撃を受けたようだ。

 この彫刻のようなねじれたポージングは日本の美術にはほとんどありませんし、これまでの漫画家があまり表現していないジャンルで、しかもいい意味での色気も出せる。それまでの修練で絵の基本はできていましたから、後は、イタリアで体験したことを取り込んで、自分の世界観のイメージを作っていけばいいわけです。こうして、「これが自分の絵だ」というものをつかんでからは、編集者からアドバイスされて悩むということが格段に減りました。

 また、「JOJO magazine 2022 WINTER」(集英社)では、「ジョジョ」初代担当編集者・椛島良介との対談の中で、こうもいっている。

 今でも「イタリアに行ってから絵が変わった」と言われます。エル・グレコの絵に似ているとかも言われますね。ちょっと身体が「ニュッ」と伸びている所とか。僕の絵もグニュッと伸びているんだよね。エル・グレコも含めて宗教画を数多く見ているから、無意識に影響はあったと思う。

 そう、体を「グニュッ」とねじったいわゆる「ジョジョ立ち」のポーズをはじめ、いま私たちが「荒木飛呂彦」と聞いてすぐに思い浮かべるようなあの独特な「絵」は、彼がある時期以降、西洋のアート――中でも、「マニエリスム」や「バロック」と呼ばれる芸術様式を強く意識することで「変化」していったものなのだ(エル・グレコはマニエリスム期の、ベルリーニはバロック期の芸術家)。

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