「AKIRA」新装版はどう変化した?ーーコミック版との比較で改めて気づく、大友克洋の“凄み”

◼️『AKIRA』のすごさが伝わりきっていないのは「スゴすぎるから」

 漫画家/イラストレーターである大友克洋。その画業を振り返る全集『OTOMO THE COMPLETE WORKS』の配本が第2期に入り、いよいよ大作『AKIRA』の刊行が始まった。

 大友克洋については、SNSで「最近の高校生は水木しげるは知っていても、大友克洋は知らない」というエピソードがバズっていたのも記憶に新しい。その原因は、「大友克洋の作品は、セックス・ピストルズや『スター・ウォーズ』のようなものだから」なのではないだろうか。

 ピストルズも『スター・ウォーズ』も、登場した当初は強烈な衝撃を周囲に与えた。が、衝撃が大きすぎて周囲の風景を一変させてしまったため、のちに生まれた世代にとっては変更後の風景が標準になってしまい、最初の衝撃がうまく理解できない存在だ。パンクやダイクストラ・フレックスがどれだけ衝撃的だったかを語っても、現代の高校生にとってはもはや歴史の授業と同じ感慨しか与えられないだろう。同じように、1970年代半ばから1990年代にかけて世界のコミック/イラストレーションに凄まじい衝撃を与えた大友克洋の作品とその影響は、いまや「鉄砲伝来」や「相対性理論の発見」に並ぶ歴史的な出来事なのである。

◼️大友克洋作品の多くは、これまで新刊で読むことができなかった

 大友克洋の仕事がそういった歴史的な距離感になっている現代だからこそ、全集の刊行は意義のある事業となっている。なんせ大友克洋の作品の多くは、現在新刊で読むことができない状態になっているのだ。「書店に新刊が並んでいない」「電子化もされていない」という状態では、高校生が知らないのも無理はないだろう。おまけに、大友作品には、そもそも雑誌掲載されただけで、単行本に収録されていないものが大量に存在する。

 1984年刊行の単行本『ショート・ピース』には、「大友克洋作品リスト」として、1973年から1983年までの掲載作品が年表形式で列挙されている。大友作品にドハマりした中学生のころ、この年表を見ては「デビュー作の『銃声』って、一体どんなマンガなんだ……?」「『大友克洋の栄養満点』って何……?」と想像を膨らまし、同時にそれらが収録された単行本が存在していないことを「なんでだよ〜」と恨んでいた。これら幻の初期作品が、全集刊行によって初めてまともに読めるようになったのである。

『銃声』(講談社)

 
 特に、昨年7月に発売された全集1巻で『銃声』を初めて読んだ時は、あまりに救いのないストーリーと、全然絵柄が違うのにどこか後年の大友作品にも通じる絵の雰囲気に驚かされた。中学以来の疑問が、20年以上経過してようやく氷解したのである。これは「原則として発表当時のまま、全作品を発表順に掲載する」というこの全集の考古学的アプローチがあればこそだろう。

 

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