『もうじきたべられるぼく』絵本作家・はせがわゆうじインタビュー「世の中は勝手な選別で溢れている」

 10万部突破のベストセラー絵本『もうじきたべられるぼく』が話題のはせがわゆうじさんによる幻のデビュー作『こころのもり』が、『チビ、にげろ! 8ぴきのだいだっそう』のタイトルで8月7日に復刊された。『チビ、にげろ!』は『もうじきたべられるぼく』と同じく、動物たちが主役の物語で、色鉛筆による柔らかなタッチの絵柄と、切ない別れを描いたラストシーンが深い余韻を残す作品だ。子どもから大人まで、誰もが親しむことができると同時に、重厚なテーマを持つ作風はどのように育まれたのか。作者のはせがわゆうじさんに話を聞いた。(編集部)

事実をちゃんと知っておいたほうがいい

『もうじきたべられるぼく』(中央公論新社)

――絵本『もうじきたべられるぼく』はTikTokの紹介動画で300万回再生され、未来屋えほん大賞も受賞しました。牛だから、もうすぐ食べられてしまう「ぼく」が、最後に一目、お母さんに会いにいこうとするお話です。

はせがわゆうじ(以下はせがわ):もうずいぶんと昔に描いたお話で、TikTokで紹介されたときは、出版もされていなかったんですよ。絵本アプリの「PIBO(ピーボ)」で公開されていたものを、読み聞かせのおすすめとしてTikTokで紹介してくださった方がいて、話題になったことで改めて紙の本にしていただけることになった。TikTokといえば、若い子たちが踊っている印象しかなかったので、そんなこともあるのかと驚きましたが、ありがたいことですね。

――主人公の「ぼく」は食べられることを覚悟していて、その未来は変わりません。お母さんとの再会シーンもとても切なく、残酷な現実をごまかさずに描かれているからこそ、命の重み、動物を食べることの意味を考えさせられます。

『もうじきたべられるぼく』より

はせがわ:あるとき、街中で牛を乗せたトラックが走っているのを見たんですよ。檻のなかから牛の鼻がいっぱい突き出されていて、これから殺されてしまうんだろうかと思ったときに、この絵本を描こうと思いました。もともと、食べられる動物とそうでない動物がいることに、不条理を感じていたんですよね。ちょうちょはいいけど蛾はいやだとか、世の中は勝手な選別で溢れている。だから、牛が運ばれている横顔の向こうにはしゃいでいる若者を描いて、「この犠牲の上に君たちの生活は成り立っているんだぞ」と提示するものにしようと思いました。でも、そんなものを描いても、きっと出版社の人はOKを出さない。

――それも読んでみたかったような気はしますが。

はせがわゆうじさん

はせがわ:食べるために殺すことを残酷だととらえるけれど、実際、僕たちはそうして生きているわけで。見ないふりをしているよりは、その事実をちゃんと知っておいたほうがいいんじゃない、というつもりでした。それを、どういう形だったら抵抗なく読んでもらえるだろうと、折に触れて考え、できあがったのが『もうじきたべられるぼく』。それでも、紙で出版するには至らなかったので、あのときこんなふうに声を上げてくれる人がたくさんいたらなあと思います。

――ご自身では、なぜ今、これほど支持されたのだと思いますか。

はせがわ:もしこの十数年のあいだになにかが変わったのだとしたら、世の中に対する「これでいいのか」という不安や疑問が増えたことかもしれない、と思います。日本は、世界的にも若年層の自死率が高いですしね。

――ラストの「せめてぼくをたべた人が自分のいのちを大切にしてくれたらいいな」という言葉にも考えさせられるのですが、いずれは死ぬという意味では人間も「ぼく」も同じで、そのときに辿りつくまでにどう生きるのか、ということも本作のテーマなのかなと思いました。

はせがわ:描いたときにそこまで考えていたかどうか覚えていませんが、あんまり死を悲しいものとして僕はとらえていないかもしれません。もちろん、若い子がみずから死を選んでしまうのはつらいことですが、80歳を過ぎたらもう、拍手して送ってあげるのでもいい気がする。そこまで生きられたら立派じゃないか、と。

色鉛筆には、可能性が詰まっている

『チビ、にげろ! 8ぴきのだいだっそう』(中央公論新社)

――新たに刊行された『チビ、にげろ! 8ぴきのだいだっそう』は、はせがわさんのデビュー作を復刊したもの。檻のなかに閉じこめられている親のいない動物たちが、「こころのもり」に住んでいるお母さんに会いたいチビ犬のために、脱走の手伝いをするというお話です。

はせがわ:僕は、映画からヒントをもらうことが多いんですけど、中学時代に観て大好きになっちゃった作品があってね。絵本のイメージとは全然ちがうので、作品名は伏せますが、お母さんに会いたいチビ犬のために、仲間の動物たちが一匹ずつ身を挺して逃がしていくところとか、逆光のなかチビがフェンスを越えるところとかは、その作品から影響を受けています。それから、デヴィッド・リンチ監督の映画『エレファント・マン』。見世物小屋に入れられたエレファント・マンを仲間が協力して逃がしてやるシーンがあるんですよ。

――たしかに、追っ手を食い止めて一匹ずつ捕まっていく動物たちの姿には、映画のような臨場感と躍動感がありますね。

はせがわ:僕のイメージはすべて映像で浮かぶんです。頭のなかに流れるアニメーションを、二次元に描き起こしている感覚なんですよ。音楽を背景に情景だけが流れているシーンもあるから、自然と文章が少なくなる。もともとイラストレーターなので、言葉で補足するよりも、できるだけイラストだけで完成されたものを描きたいという気持ちもあります。どのページも、一枚絵として切り抜かれても成立するようにしているんですよ。

――絵葉書にしてほしいなって思っていました。ご自身でもとくに気に入っているのは。

『チビ、にげろ! 8ぴきのだいだっそう』より

はせがわ:『もうじきたべられるぼく』は、一面黄色の草原で、柵ごしに遠くから「ぼく」がお母さんの姿を見つめている絵。『チビ、にげろ!』は、やはり黄色い逆光のなか、チビが柵をとびこえていくうしろ姿。どちらも、この見開き絵を描きたくて、前後の物語を考えています。

――どの絵も、色鉛筆だけで描いているんですよね。自分も使ったことのある色鉛筆で、こんなに美しく緻密な絵を表現できるなんて、何度みても信じられません。

はせがわ:色鉛筆には、可能性が詰まっているんですよ。大学生のときにはじめて六十色の色鉛筆を買ったんですけど、もったいなくてしばらく使えなかったんです。使ったら減っちゃうから、眺めているだけ(笑)。でも、ためしに使ってみたら、色を重ねるたびにどんどん色が増えていくから驚いた。どんな紙を使うかによっても、まるで表現が変わるんですよ。

――あ、それでこんな、ちょっとでこぼことしたような質感が。

はせがわ:そうです。わざと色のついた紙を使っているので、白い紙に描くのとまたちがう色合いが出る。いまだに紙と色の組み合わせで「こんなふうになるんだ!」と驚かされることがあります。ただ、紙は廃盤になることも多くて。今回、紙の書籍にしていただくにあたって、表紙の絵を描き下ろしてほしいといわれたのですが、もう手に入らない紙を使っていたので、お断りしました。似たもので試してみたんですけど、どうしても本文と表紙で、質感が変わってしまうので。この紙でなくちゃ描けないということはなく、作品ごとに変えることもあるのですが、お気に入りの紙はストックしておかないと、廃番になることがあるので困りますね。

――ちなみに、最初に刊行されたときのタイトルは『こころのもり』でしたが、何かイメージするものがあったのでしょうか。

はせがわ:永島慎二さんという大好きなマンガ家がいて、『心の森に花の咲く』という作品からお借りしました。血の繋がらない他人が共同体で生活するというお話で、絵本のストーリーには関係ないんですけど。

――ゾウやカバ、ライオンにトラと、さまざまな動物が同じ檻に入れられて、協力し合って暮らしている姿は、重なる気がしますね。やはり、動物を描きたいという気持ちは強いんですか。

はせがわ:デフォルメしてファンタジーの世界を描きやすい、ということもありますけど、単純に人間を描くとなぜだか魅力的にならないんですよね。描きたいというより、動物のほうが興味が湧くのかな(笑)。子どもの頃から、虫や動物の生態を調べるのが好きで、いまだにそういう本ばかり読んでいます。お酒を飲むと、延々と彼らのおもしろさについて語ってしまう。

――そのおもしろさが、絵本のテーマになることもある?

はせがわ:そうですね。先ほどの「なぜ食べていい動物とそうでないのがいるのか」「ちょうちょはよくて、どうして蛾はいやなのか」もそうですが、「ハイエナみたい」って表現は、ずるがしこい人を指すときに使うでしょう。でも最近の動物学者によると、ハイエナが仕留めた獲物をライオンが横取りする確率のほうが高いらしいんです。で、ライオンが食い散らかした残りを、仕方がないから食べている。

――ライオンのほうがずるいじゃないですか。

はせがわ:そうなんですよ。ライオンは素晴らしい百獣の王で、ハイエナは悪者。そんなレッテルを貼った物語が世の中にはあふれているので、そうじゃないものを描きたいなと思ったりもします。動物の生態を一つひとつテーマに絵本をつくりたいくらい。

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