杉江松恋の新鋭作家ハンティング 創元ホラー長篇賞『深淵のテレパス』の突き抜けたおもしろさ

 小説を読むと構造がどうしても気になる。

 これは書評をやっている者の職業病に近い。素直に物語を楽しみたい。そう思う反面、作者がどうやって読者をもてなそうとしているかを知りたい、という欲望がむくむくと頭をもたげてきてしまうのである。優れた小説ほどそうなる。おもしろい小説ほどそうなる。

 上條一輝『深淵のテレパス』(東京創元社)も、どうやって、の興味から始終離れることなく読み終えた一冊だった。帯に選考委員を務めた澤村伊智の「ホラーとして娯楽小説として、非常に高いレベルでまとまっていた」という一文が引用されている。そうそう、そうだ。

 そのまとまり具合が素晴らしいのである。

 『深淵のテレパス』は今回が初募集となる創元ホラー長篇賞の受賞作である。新人賞の作品はだいたい「まとまっている」のが常である。分量に制限があり、また、最終段階以外の選考が加点よりも減点方式の要素が強い形で進められるのも一つの原因だろう。飛び切りおもしろいが小説としては粗がある、というようなものは落ちてしまうことが多いのである。味は美味しいけど流通には乗らない野菜、のようなものか。それはそれで、商業出版をする上での見識だから問題はない。

 誤解がないように書いておくと、まとまっているからそれほどおもしろくない、ということはない。純文学のような表現の自由度が高いものは別として、読者が存在することを前提として書かれる小説は、まとまっているに越したことはない。プロットにせよ表現方式にせよ、その他のあらゆる要素は、読者に理解をさせ、楽しませるために磨いた無数の技巧によって支えられているからである。磨き抜かれた技巧の結晶であるような作品を、私は決して否定しない。『深淵のテレパス』も洗練度が高いと言っていいほどにまとまった小説である。同時に、突き抜けたおもしろさもある。

 読んでいて、そっちにいくのか、そういう話になっていくのか、と驚かされる瞬間がいくつもあった。物語は、企業で管理職に就いている女性が怪現象に巻き込まれることから始まる。高山カレンはある日、会社の部下である館花ゆかりに誘われて、大隈大学のオカルト研究会で開かれる怪談の会を聞きにいく。ゆかりの弟もそこに出演しているのである。だがカレンの心を捉えたのは、別の出演者だった。小柄なその女性ははっきりとカレンを見て「あなたが、呼ばれています」と語り始めた。暗い水の底にいるものが、寝ているときにやってきて「あなた」を連れていくだろう、正常な判断を奪い、すべてを受け入れなくさせる、と。「光を絶やさないでください」と言って、女性は話を締めくくった。

 それ以降カレンは毎晩、異変に悩まされるようになる。どこにも閉め忘れや漏れているところはないはずなのに、水音がする。水たまりを思わせる澱んだ水の臭いが漂ってくる。ぱしゃりという水音は、女性が言ったとおり暗がりでだけで聞こえるもので、部屋を煌々と明るくしている限りはしないのだった。まばゆく光輝く部屋で暮らしていくうちに、カレンは次第に衰弱していく。ネットで「あしや超常現象調査」を名乗る男女二人組の動画を見つけ、駄目元で彼らを頼るのである。

 語り手は途中から、この「あしや超常現象調査」の側に移る。視点人物を務めるのは越野草太という青年だ。彼は小さな映画宣伝会社に勤めていて、直属の上司は芦屋晴子という誰に対しても物怖じすることのない女性だ。この晴子が、超常現象というものは本当に存在するのか、ということに関心を持っていた。いずれは動画制作者として名を上げ、会社を辞めたいという気持ちのある草太が、晴子の関心に乗っかる形で作ったのが「あしや超常現象調査」の原型だ。会社公認のベンチャーみたいなものだったが、途切れずに依頼が入るくらいには注目されることになった。

 晴子と草太のコンビがカレンの依頼を受け、水音の怪異を調べていく、というのが中盤以降の展開である。調査に携わるのが二人だけではなくて、主として晴子の人脈から少しずつ増えていくのが展開としておもしろい。いい味を出しているのが犬井という男性で、超能力者としてかつては注目された時期があったが、今は不遇で愚痴ばかり零している。特殊能力を持つチームが怪異の解決を目指す、という話の構成は選考委員である澤村の『ぼぎわんが、来る』(角川ホラー文庫)に始まる〈比嘉姉妹〉シリーズに似ている。ただし中心人物である芦屋晴子には何も霊能力がない。人の懐に飛び込むのが異常に巧くて、たとえば失踪人の借りていた部屋を調べなければならないようなことがあると、大家のほうから中をお見せしましょうか、と晴子に言ってくる。これも特殊能力と言うべきか。何事につけても精力的な晴子に草太は気後れしつつも憧れており、この人間関係が話の軸となっている。

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