巨匠漫画家・ながやす巧、傑作『愛と誠』の裏にあったリアル純愛物語と画業60周年でも尽きぬ創作欲

■“筆”は時短のテクニック!?

『愛と誠』の10巻。この絵がまさか、時短のために一気に描き上げられたとは……。筆者は話を聞いて衝撃を受けたが、そういった時短テクニックが可能なのは、ひとえにながやすの突出した画力があるからに他ならない。当然だが、誰もができることではないのである。

――ながやす先生の絵はペンタッチも魅力的です。筆で描かれた『愛と誠』の表紙絵は誠の男らしさが表現され、素晴らしいですよね。使用されている画材について知りたいです。

ながやす:Gペン、カブラペン、丸ペンですね。巻頭カラーや単行本の表紙など、カラー原稿は筆を使うことが多く、サクラ水彩で塗っています。

福子:実は、主人は時間がないときほど筆で描いているんです。『愛と誠』の10巻はそうですね。下描きをばっちり入れると鉛筆の線が残るので、アタリだけをつけて、筆で一気に描いていくのです。

――えっ!? この絵は時間がない中で描いたんですか!? 

福子:逆に、表紙絵をペンで描いているときは、十分に時間があるときですね。最後の16巻はきちんと描かなきゃと思って、時間をかけて丁寧に描いています。

ながやす:強いて挙げるなら、12巻の表紙が気に入っています。これも1時間もかからず、あっという間に筆で描きました。筆は勢いがつくし、速く描けるので重宝しますね。

締切に追われながらわずか1時間で描いたという『愛と誠』の12巻の表紙。原田芳雄の面影が感じられる。

――締切に追われながら絵を描いている、ながやす先生の姿が浮かんでくるようです。

福子:ある時、その週の原稿を上げてようやく寝られると思ったら、編集さんが「再来週にカラーの扉が付きますから、今日原稿をもらっていきたい」と言うんですよ。だから、20分くらいで描いたこともあります。そんな時はすべて筆です。今では絶対にできないですよ。

ながやす:再来週にはどんな話になるか、まだわからないでしょう。だから、内容と関係ない絵ばかりになってしまいました。『愛と誠』の文庫版が出る時は、内容に応じて、時間をかけて表紙を描きましたけれどね。

福子:でも、原画展では単行本の表紙や連載当時の扉が並ぶでしょう。だから、時間をかけていない絵ばかり展示されることになってしまうんですよ。

――時間をかけずに、あれほどのクオリティの絵を描いてしまうながやす先生の画力に圧倒されてしまいます。しかもデジタルではなく、すべてアナログですからね。

ながやす:機械で描くのは、よくわからないんですよね。手描きしか自分は知らないですから。

■好きな俳優は原田芳雄

『愛と誠』の表紙は1枚絵としても素晴らしい作品ばかり。ながやすの絵の高度な技法を見ることができるので、本編と合わせて堪能してほしい。

――ながやす先生の描く漫画を読んでいると、一本の映画を見ているようです。間の取り方も見事ですし、描くキャラクターはすべて映画の登場人物に思えます。

ながやす:いろいろな映画を見てきましたから、映画の影響は大きいですね。おっしゃるように、僕は登場人物を映画みたいに描きたいんです。俳優では原田芳雄さんが好きですね。

――原田芳雄さん、かっこいいですよね。

福子:『愛と誠』の序盤で、誠がボクシング部の部長と決闘する場面があります。誠が剣山でパンチを受け止めるシーンを描いているとき、ごはんを食べましょうと、主人を呼んだんです。そして、テレビをつけたら、画面いっぱいに原田さんの顔がアップで写りました。気づいたら、2人で立ったまま見入ってしまったんですよね。

ながやす:いい顔だなあ……と思ったんです。原田さんの家に行った時は、ご本人を前に、じっと顔を見てしまったこともあります。原田さんに見てもらいたくて、切り抜いた写真のスクラップを持っていったくらいですよ。

――原田さんを参考に描いたキャラはいますか。

ながやす:誠はそうですよ。原田さんを若くした感じで誠のイメージを作っていきました。総じて、僕の漫画の主人公は原田さんの面影が表れていますね。ちなみに、早乙女愛のヘアスタイルは「わたしの彼は左きき」の麻丘めぐみさんのお姫様カットを参考にしました。

福子:『Dr.クマひげ』の国分徹郎もイメージは原田さんです。

ながやす:でも、『愛と誠』が映画になると決まって、西城秀樹さんに会ったら、誠の顔がだんだん秀樹みたいになっていきました(笑)。

――言われてみると、後半の誠は西城秀樹さんの雰囲気をまとっていますね。

福子:そういえば、早乙女愛役をオーディションで選ぶとき、秀樹さんが主人に「太賀誠って僕に似ていますよね」と言いました。主人が、「だって、映画化が決まってからは君の写真を見て描いたから」と言ったら、秀樹さんは「やっぱりそうか~!」と大喜びでしたよ。映画は3本とも秀樹さんにやってほしかったですね。

ながやす:僕は登場人物を作るとき、俳優なら誰がいいのかと考えて、イメージを当てはめるのです。原稿中は頭の中で俳優さんが動いていて、その光景を絵にしているのです。『壬生義士伝』の吉村貫一郎は加藤剛さんのイメージですし、斎藤一は原田芳雄さんのイメージですね。

「旧尾崎テオドラ邸」にて開催されている『ながやす巧「愛と誠」の世界展』。

■イメージをもとに自分の世界を創る

――ながやす先生が描く背景もため息が出るほど美しいのですが、『愛と誠』や『鉄道員』の雪の描き方には感動しました。

ながやす:『鉄道員』はとても楽しく描けましたね。浅田次郎先生の原作は読むだけでワーッとイメージが浮かんできましたから。

福子:“雪のながやす”と言われていますから、雪を描いた原稿は本当にきれいですよ。

――風景は取材で撮影した写真などを参考にして描いているんですか。

ながやす:『鉄道員』の駅は栗山駅をイメージの参考にしているのですが、いろいろなイメージを組み合わたので細部は違っていますから、具体的なモデルがないといえます。

福子:作中に登場するステンドグラスも、炭鉱の山と太陽を組み合わせてデザインを創り上げているんですよ。

――ながやす先生が描けないものなんて、あるんですか。

ながやす:駅のシーンなど、いっぱい人が出てくると困っちゃうんですよね。あと、ビルとかは苦手なんですよ。きちんとパースをとって描かないといけないでしょう。定規を使うとどうしても線が硬くなってしまう。海とか、自然のものはフリーハンドで自由に描けるので楽しいですよね。

福子:『壬生義士伝』では、農村の風景や茅葺屋根の家などを描いていますが、具体的なモデルはなくて、主人がその世界に入って頭の中で作り上げた風景なのです。

――そっくりそのまま描くわけではないのですね。

ながやす:舞台になる場所に取材に行って、例えば道幅などは参考にしますが、周りにある家を頭の中で消して、当時(江戸時代)のイメージを当てはめていくのです。

福子:主人が描いている姿を見ると、自分の世界を作っていると思います。私は役得ですよ、近くで完成した原稿を見れるのですから。波を描いても、馬を描いても、自動車も描いても上手い。この人はなんでも、自分のものにしてしまうんですよ。

■創作を支えてくれた妻に感謝

――先生は『壬生義士伝』の途中に脳卒中を発症し、中断を挟みながらも漫画を描き続けました。

ながやす:ちなみに、西城秀樹さんと同じ病院に入院したんです。病気をしたからこそ、生きているうちに描き上げたいと思えました。完結した時はほっとしましたよ。

画業60周年という節目に日本漫画家協会賞を受賞。写真提供=永安福子

福子:初期のうちに様子がおかしいと気付けたのは、本当に幸運だったと思います。入院は4回に及び、その間には「まんだらけ」で『愛と誠』の原画が販売される騒動もあって、精神的に追い込まれたこともあります。そうした騒動を乗り越え、無事に完結させることができた時は、私も本当に嬉しかったですね。

――ながやす先生は今年、日本漫画家協会から表彰された際も、奥様への感謝の言葉を口にされました。

ながやす:本当に感謝していますよ。ありがとうという感じです。

福子:50年も夫婦でいると、兄弟のような感じですね。特別な気持ちというよりも、自分の一部のような感じで一緒に暮らしています。なきゃいけない、あって当たり前と言いますか(笑)。

――そして、絵を描くことが楽しいという思いが、ながやす先生の創作の根底にあるように思います。

ながやす:漫画を描くことが楽しいんですよ。そして、実は絵を描くより、原作のストーリーを構成する作業がもっと楽しいのです。毎回、物語の世界の中で主人公や登場人物のひとコマひとコマが、まるで生きて動いているように見えてくるのです。感情移入して本人になりきって描いていますよ。

福子:描き始めると夢中ですよ。だから、今は仕事をしていないから一番しんどいと言っています。何もしないのは、生きていないのと一緒だと。しんどいと言いながらも、描いているときが一番楽しいんですから。

ながやす:最近は、フィギュアを集めたり、模型を作ったりすることも楽しんでいます。市販のフィギュアを改造するのも大好きですね。ただ、趣味の一環でも絵を描いていますが、仕事じゃないと気持ちが入らない。頼まれて一枚の絵を描いたのですが、やっぱりコマを割って、漫画を描きたいですね。

『ながやす巧「愛と誠」の世界展』イベント情報
<第53回日本漫画家協会賞・文部科学大臣賞/画業60周年/連載開始50周年記念>
『ながやす巧「愛と誠」の世界展』
開催期間:2024年8月20日(水)まで
営業時間:10:00 - 18:00(最終入館 17:30)※毎週木曜休館
開催場所:旧尾崎テオドラ邸(〒154-0021東京都世田谷区豪徳寺2丁目30−16)
入館料:① 入館料(ギャラリー観覧料含む)… 1000円(税込)
    ② アフタヌーンティー付き入館料(ギャラリー観覧料含む)… 5950円(税込)
    ③ 喫茶室席のみ予約付き入館料 … 1000円(税込)
    ④ 当日券 … 1500円(税込)
    ※全館キャッシュレス決済のみ可能となります。現金での精算はできません。
    (クレジットカード・交通系IC・PayPayなどがお使いいただけます。)
    ※ ①・②・③は「チケットぴあ」にて事前チケットを販売。
    ※ 当日券は利用者の来店状況により入館・喫茶室のご案内ができない場合があります。
ホームページ:https://ozakitheodora.com/
※ 詳しくは公式HP「チケット購入ページ」をご確認ください。

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