「三井大坂両替店」なぜ江戸時代最大級の金貸しに? 信用調査書が映し出す、債務者の悲喜こもごも
顧客の19%は「人柄が悪い」
ーー日用帳には顧客たちの悲喜こもごもも映し出されていて、江戸時代の人々のリアルな生活や人間模様が感じられるのも面白いポイントでした。
萬代:浮世絵だとか狂言、あるいは能楽といった文化的な作品の中で、当時の人々の生活を垣間見ることはできますが、日用帳にはまた違った人々の姿が映し出されています。寛政の改革以降、幕府は親孝行者や働き者を「善行者」として報奨し、それこそが人のあるべき姿だとするわけですが、要は幕府にとって都合の良い人物像であって、残されている史料にはいろいろと脚色もされている可能性があります。当時の人々が幕府に出した出願書でさえ、日常のトラブルがことさら大袈裟に書かれていたりするんです。
一方、三井大坂両替店の日用帳は幕府に提出するものでもなく、確実に債権を回収するために顧客の不安要素を洗い出したものだから、人々のありのままの生活が赤裸々に描かれています。派手好きだとか、遊女通いが激しいとか、米相場に入れ込んでるといった理由で融資を断られる人も少なくないですし、本書には書きませんでしたが、提出した担保の情報がまるっきり嘘だったというケースもありました。
ーー本書は「善行者」ではなく、むしろ「不誠実な人」に着目していますね。
萬代:三井大坂両替店の顧客の実に19%が「人柄が悪い」と判断されて融資を断られているのは、注目すべきポイントです。三井大坂両替店は低金利だけど信用調査が厳しいということは、長年にわたる評判から人々に知れ渡っているはずですが、それでも「人柄が悪い」のがやってくるということです。おそらくそういう人々は単に無鉄砲というより、自分では「善行者」だと思い込んでいたのかもしれません。自分の評価と他者の評価が違うというのは、いつの時代も変わらないのだと感じましたし、三井大坂両替店がそこまで厳しく調査したのは、裏を返せば当時から不誠実な人はそれなりにいたということでしょう。
興味深いのは、家計状態がそれほど良くなくても人柄が良ければ貸す場合もあったことです。おそらく、たとえ債権が厚く守られていたとしても、三井大坂両替店としてはできるだけ訴訟は避けたかったのでしょう。訴訟に備えて、三井大坂両替店は司法を行っていた与力と日頃から関係性を結んでいたわけですけれど、それだって贈り物だなんだと非常にお金がかかるわけです。
家計状態が良くても人柄が悪い人物は、あとで揉めて訴訟に発展する可能性が高いから、三井大坂両替店としては契約を結びたくない。逆に人柄が良い人物は、将来性だってあるし、なにかあっても訴訟には至らないだろうという見立てがあったはず。三井大坂両替店は人情から人柄を重視していたというより、訴訟の費用はなるべくかけたくないという合理的な判断によって、そのような選別をしていたのではないかと思います。
経済学と歴史学をハイブリッドした切り口
ーーそもそも、萬代さんが江戸時代の経済を研究し始めたきっかけは?
萬代:私はもともと社会史を研究していて、近世・江戸時代ならではの顔が見える社会構造、つまり人々がどういう繋がりを築いて地域社会を成り立たせているのかに興味を持っていました。そこで着目したのが農村の地主です。地主は土地持ちであると同時に小作人に土地の貸し出しもやっています。小作人との関係性が良好な地主は、領主からその経済力を買われて、領主と村とを媒介する役職を任されて、行政の中枢を担うこともありました。そこから地域社会の行政や経済にも関心を持つようになりました。
ただ、近年、歴史学の花形はやはり政治や文化、思想に関する研究なので、江戸時代の地主経営に関する研究は停滞傾向にあります。なぜなら分厚い帳簿を読んで分析していくしかなく、すぐに成果が出るものでもないので、成果主義の昨今では院生から避けられがちなんです。せっかく研究しても周囲にあまり興味を持ってもらえない状況でした。
ところがあるとき、経済史の雑誌に私の論文が載りました。社会科学系の経済史から見ると地主と小作人の関係というのが非常に面白いようです。そこで経済史の先生から、「地主と小作人との関係は契約関係だから、小作人が今後も地主と契約を結びたいと思わせるためにはどのように契約内容を設計するべきか、といった観点から研究すると貴重かつ重要な成果となる」というアドバイスをいただき、20代後半から独学で経済学を勉強して、経済学的分析を採り入れた歴史研究を始めました。
非常に乱暴に整理すれば、経済学などの社会科学が「原則」を重視するのに対して、歴史学は「例外」を重視するので、この掛け合わせは批判を呼ぶ可能性もありましたが、先生から「歴史学的なアプローチで無難にまとめても誰も見てくれないから、社会科学的なアプローチで突き抜けた方がいい」と背中を押してもらい、研究を続けてきました。
ーー経済学と歴史学をハイブリッドした切り口が、独自の研究に繋がったんですね。地主と小作人の関係性の研究から、三井大坂両替店の研究にはどのようにシフトしたんですか。
萬代:地主と小作人の関係性というと、地主が小作人を従属的に支配しているように考えている方が多いと思いますが、近畿地方ーー特に大坂周辺は人の往来も多く街も発展していたため、日雇いから専門職まで農業以外の稼ぎ口がたくさんあり、人々は必ずしも地主のもとで小作農をしなくてもよかったんです。要するに、就業の選択肢が広く、労働市場が広がっていた。だから地主は誠実で働き者の小作人を確保するには、それなりの条件を提示する必要がありました。三井大坂両替店も雇用に関しては同じような状況だったはずで、調べていくうちにその独自の経営手法に興味を持つようになりました。
江戸時代は経済活動においても監視社会だった
ーー江戸時代の庶民には漠然と「質素倹約を重んじる誠実な人柄で、街は人情に溢れていた」といった印象がありますが、萬代さんは本書を通じて、必ずしもそうとは言えず、当時の人々も現在の人々と同じように合理的な判断のもとに行動していたはずだと分析しています。先ほどの三井大坂両替店の人柄重視の審査や、奉公人の遊女通いにしてみても、ある意味では現代人と同じような合理性に基づいていたと。
萬代:合理性というと、金銭の損得勘定のみに限定して考えがちですけれど、例えば私たちも「この日は休んだほうが満足度が高い」といって仕事を休んだりするわけで、それもまた合理的な判断のひとつですよね。出勤した方がお金を稼げるけれど、余暇を選択した方が満足度が高いという考え方は、決して非合理的ではない。江戸時代の人々はたしかに人情を重視していたかもしれませんが、それだって何かしらの合理性ーー例えば変な噂を立てられないようにするためーーに基づいていたのではないでしょうか。江戸時代の人々の行動原理を、日本人生来の気質であるかのように論じてしまうことで、見落としてしまうことも少なくないはずです。
ーー三井大坂両替店の人柄重視も、美談というわけではない。
萬代:そうですね。さらに言えば、融資を受けるためには善行者でなければいけないという状況は、監視社会的でさえあると言えるでしょう。低利でお金を借りるには三井大坂両替店の審査を通る必要があり、もし通らなければ高利貸しから借りなければいけない状況で、しかも三井大坂両替店にはたくさんのお得意先がいるから、顧客あるいは潜在的な顧客は各方面に波風を立てないよう気をつけて生活しなければいけない。
あらゆるところに三井大坂両替店の目がある状況は、「監視カメラ」というよりはむしろ「防犯カメラ」に近いです。見えないところに設置して、犯罪や事件が起きたときに事後的に確認するものではなく、あえて視覚的にわかるところに置いて抑止力とするのが「防犯カメラ」で、三井大坂両替店の審査の厳しさは知られていましたから。成功する人は質素で誠実である社会というのは、監視社会の裏返しでもあり、ある種の抑圧はあったのだと思います。
ーー江戸時代は今よりも厳しい監視社会だった可能性もある。
萬代:そもそも江戸時代では、幕府が人々の不正行為や不法行為、造反行為がないかを監視する仕組みがあって、その研究はこれまでもされてきました。ただ、経済活動に限定して監視社会的な仕組みが構築されていたことを指摘する研究は、これまであまりなかったと思います。経済的に成功するにも、監視社会の目があったということがわかると、印象も変わってくるのではないかと思います。
ーー本書では、江戸時代にはすでに市場経済社会が成り立っていたものの、それは身分制による特権で歪められたものだったと指摘しています。前近代的な構造の中でこそ、三井大坂両替店の金融業は成り立っていたと。
萬代:三井が融資したのは幕府の金ですから、債務者から真っ先に回収できるという特権がありましたが、これは非特権的な金融業者からすると制約でしかありませんでした。お金を貸した相手が多重債務者で、三井大坂両替店からもお金を借りていた場合、訴訟を起こしたとしても三井大坂両替店の一言で中断されてしまう。
そういう金融業者は、よく知っている人にお金を貸して、三井からは借りないように約束してもらうわけですが、そうなると取引の範囲が限定されることになるので、社会全体として見ると経済活動を阻害しているんです。その意味で、やはり前近代的な社会だったと言えます。
ただ、幕府は財政難にあって、当時は大坂の40万人前後の人口に対して、大坂奉行所の実務役人である与力は東西合わせて50人もいない状況でした。その50人で司法と行政、警察業務などの司法サービスをしなければいけなかったので、保護すべきものに優先順位をつける必要はあったのだと思います。幕府が人を増やそうにも幕府財政に余裕はなかったので、幕府公金を扱う三井大坂両替店などを保護することで、なんとか回していこうとしていたのでしょう。
限られた司法サービスをいかに提供するかという課題は、三井大坂両替店に限らず豪農にも影響を与えていました。身も蓋もない言い方ですが、江戸時代に富裕層となった人々は政治権力にうまく近づいて成功したんです。その辺りのことはまだあまり研究されていないので、掘り下げていきたいと考えています。
■書籍情報
『三井大坂両替店-銀行業の先駆け、その技術と挑戦』
著者:萬代 悠
価格:1100円
発売日:2024年2月21日
出版社:中央公論新社