江戸時代の日本人は何を食べて来たのか 定番食材の三つの白いもの、白米に豆腐……あと一つは?

  国立科学博物館で開催中(2024年2月25日まで)の特別展「和食 ~日本の自然、人々の知恵~」が好評のようである。筆者は日曜の閉館に近い時間を狙って訪問したが、場内は超満員だった。職員の話だと前日(土曜日)は倍近い来場だったとのことだ。

  展覧会のテーマとなっている和食はユネスコの無形文化遺産にも登録されている日本が誇る文化である。筆者はこれまで15か国を訪問したが、遠く離れたヨーロッパでもある程度以上の規模の街に行けば、和食を提供する店を見つけることは可能である。

  寿司に限ればもはや国際食であり、アメリカ生まれのカリフォルニアロールに代表される現地ローカライズバージョンも生み出されている。ニューヨークやロンドンのスーパーに行けば簡単に寿司が手に入る(ただし、それが日本人の想像するモノであるかどうかは別問題である。

  現在の寿司の立ち位置は、ピザ、ハンバーガー、ケバブサンドなどに近いところに来ているのでないだろうか。さて、そんな和食だが現在の原型が築かれたのは江戸の元禄(1688年から1704年)以降と言われている。

  では、元禄以降の日本人は日頃、何を食べていたのだろうか?  これについては実はそれほど克明な記録が残っていない。当時の人物が書いた日記などはもちろんあるのだが、日記の関心ごとは社会的な事件などであり、その日食べたものの記録は乏しい。

  その日食べたものとその日起きた重大事件であれば、後者を優先してしまうのは人情というものだろう。だが、そんな中にあって貴重な「日常の記録」を残した人物がいる。幕末の下級武士、尾崎石城(1829-1876)である。

  石城は武蔵国埼玉郡に存在した忍藩の藩士で、元々は中級武士だったが藩の重役に政治について意見したことで下級武士の身分に降格となり、蟄居(自宅謹慎処分)を受けている。「石城日記」の通称で知られる絵日記は1861年から1862年までの178日の間に綴られたもので、石城は律儀にその日食べたものを記録に残している。 今回は「石城日記」を元に江戸の食生活を見ていくとしよう。

※本稿は全体として石城日記を取り上げた大岡敏昭氏の『武士の絵日記 幕末の暮らしと住まいの風景』と、漫画家で江戸文化研究家だった杉浦日向子氏の『一日江戸人』を参考としていることをお断りしておく。

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