渡辺えりが共感する、版画家・棟方志功の“祈り”ーー原田マハ新作『板上に咲く』の朗読に込めた思いを聞く

この時代に演劇をする意義

――渡辺さんも、とても朗らかで笑顔が絶えない方、という印象なんですが、この作品のように、何があってもユーモアを忘れないため、意識していることはありますか。

 私ね、小さい頃は登校拒否になるくらいいじめられっ子だったんです。太ってて、あんまり口数も多い方じゃなくて、わんぱくな子たちには格好の標的だった。だけど、演劇に出会って、人を楽しませることができれば居場所をつくれるんだということを知った。人を喜ばせ、夢を見せることで、誰かの救いになり、そして自分自身も救われる。そのためには絶対、笑うことが必要。だから、ユーモアを忘れないためというよりは、どんなときもユーモアは大事なんだと、胸に刻んでいる感じですね。ただ……その希望さえ潰してしまうのが戦争なんですよね。今、ウクライナやパレスチナの方々に「何かおもしろいことをやれ」「笑え」なんてとてもじゃないけど言えない。人が笑って生きるためには、戦争なんて絶対にあってはならないんです。それは、この作品に描かれていることでもあると思いますね。

――そういう厳しい時代で、ご自身が演劇をする意義をどのように見出されていますか。

 私、1999年に、まだグルジアと呼ばれていたジョージアに行ったことがあるんです。『世界わが心の旅』というテレビ番組のロケだったんだけど、当時は旧ソ連から独立し、内紛が起きた直後で、戦争の爪痕が生々しく残っていた。そこで、難民の方々が演劇をしているのを見たんです。何もかも戦争で焼かれてしまったから、衣装なんて当然ない。そもそも主演俳優は爆撃で亡くなっている。5歳の男の子が照明をまわしているのは、照明家だった両親が戦争で殺されたから。それでもみんな、上演するために自分にできることを必死で成していたんです。それを観て、またやろう、って私も発奮することができました。劇団を解散するのも、もうやめようと。

――渡辺さんご自身が演劇をやめるおつもりだったんですか?

 そうなんです。女だてらに座長を務めて、何十人も束ねるのは本当に大変なことでね。今も、もちろんいろんな障害があるでしょうけど、当時はそれ以上だった。で、たまたま番組で「どこか行きたいところはないか」と聞かれて、現ジョージアをあげたんです。ピロスマニの絵が好きだったし、ソ連時代に劇作家協会から招待を受けて見たグルジア演劇に感銘を受けていましたからね。そのときに泊まったホテルも、訪れた劇場も、全部廃墟になっていましたが……。これが戦争か、あれほど豊かだった国が、と打ちのめされているところに、懸命に演劇を続けようとする人たちをみたら、落ち込んでなんていられないですよね。彼らが小さな劇場を満席にしているのを目の当たりにて、戦争のような残酷な現実があるからこそ演劇は必要なのだとも思えた。で、改めて演劇に向き合い、今に至るというわけです。

――お話を聞いていて、おっしゃっていたとおり、まさに渡辺さんが読むべき作品だったんだなと思いました。

働いている女性、家のことに追われている女性に、手を動かしながら聴いてもらえたらいいなと思いますね。女性の生き方、平和への祈り、そして何があってもユーモアを忘れずに生き抜く強さ。いろんなテーマが、問題提起とともに描かれている作品ですから。考えつつ、くすっと笑いつつ、楽しんでいただければ幸いです。

原田マハ著『板上に咲く- MUNAKATA: Beyond Van Gogh』朗読:渡辺えり
12月22日よりAudibleで配信。
https://www.audible.co.jp/pd/B0CNXC98N8

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