『進撃の巨人』エレンは「鳥」に生まれ変わった? 自由をめぐる物語の結末が意味するもの
鳥籠からの自由を手に入れたエレン
さらに議論を呼んでいるのは、ファルコの初登場シーンにおける描写だ。マーレと中東連合の戦争に参加したファルコは、わずかに意識を失っていたようで、空を見上げた先にいた鳥へと手を伸ばし、ここから逃げるようにと呟いていた。
そしてその後、「人類の夜明け」でエレンの記憶の断片が描かれた際に、この場面のファルコの姿が紛れ込んでいた。しかも空へと手を伸ばしているファルコを見下ろすような描き方だったため、エレンの意識をもった鳥が戦場のファルコを見下ろしていたのではないか……と解釈されている。
当然、この時にはまだエレンは生きていたため、時系列的には矛盾していると言わざるを得ないだろう。しかし時間をさかのぼる形で鳥にエレンの意識が宿っていたという解釈などもあり、いまだこの議論に結論は出ていない。
とはいえ、いずれにしても作者の諫山創がこうした描写を意識的に行っていたことは間違いないようにも思える。つまり読者に対して、「エレンが鳥に生まれ変わった」という想像の余地を与える意図があったのではないだろうか。
そもそも『進撃の巨人』において、鳥はもっとも重要なモチーフの1つ。同作の物語はまず、壁の中にいる人類が襲撃を受け、「鳥籠の中に囚われていた屈辱」を思い出すことから始まっている。その後、エレンは訓練兵を経て、“自由の翼”の紋章を背負った調査兵団へと加入した。エレンの最終目標である自由を象徴するのが、何物にも縛られずに空を舞う鳥の存在だったのだ。
そして終盤ではこの構図が逆転し、皮肉な展開を迎えることに。エレンは「地鳴らし」の発動にあたって、「終尾の巨人」という異形へと変貌を遂げる。その姿を正面から見ると、巨大な鳥籠のなかにエレンがぶら下がっているように見えるシルエットとなっていた。あれほど自由を求めていたはずのエレンが、自由を失って決められた運命の操り人形となっていることを示唆するようなデザインだ。
そう考えると、最終的にエレンが鳥と同一視されたことには大きな意味を見出せる。虐殺の運命に突き動かされていたエレンは、ミカサの決断によって命を失った。しかしそれによって運命から解放され、真の意味での自由を手に入れた……。ある意味ではエレンは、鳥籠から飛び出して“鳥になった”と言えるだろう。
自分の人生をかけて、がむしゃらに自由を求めて進み続けたエレン。その生きざまは、まるで神話上の登場人物のように壮大だ。