不健全図書の定義とは? 漫画家が危惧する拡大解釈と印象操作

  東京都のいわゆる不健全図書指定制度について、議論が巻き起こっている。この制度については、森川ジョージら多くの漫画家が声をあげており、その問題がSNS上で広く共有されるに至っている。

  そもそも不健全図書指定制度とは、卑猥な表現が含まれたり、暴力的な描写が見られるなどといった理由で、東京都側が不健全であるとみなした雑誌、書籍、DVDなどを18歳未満に販売できなくする制度のことであり、東京都の青少年健全育成条例に則っている。この際、18禁指定となっている本や電子書籍は対象にならず、あくまでも書店などで販売されている全年齢対象の本が対象になる。

  一見すると子どもを守るために必要な制度のように思われるが、いったいどんな基準で不健全図書に指定されるのか、その基準があいまいである。つまり、審議に関わる人物の主観と印象に左右される部分が大きいのだ。

 漫画の表現の是非に関する議論や、問題視される対象は、時代によって大きな変化を見せてきた。昭和20年代は手塚治虫が漫画の中でキスシーンを描いたところ、教育関係者がこれを批判。昭和20年~30年代にかけて、手塚の漫画は猛烈なバッシングを浴びた。問題のキスシーンはたった1コマだけ、しかも小さなコマにすぎない。

  現代の感覚からすれば、これのどこが問題なのか、全然大したことないじゃないかと思える。しかし、当時の漫画は子どもが見るものというのが常識だったため、やり玉にあげられたようだ。

 漫画に限らず、常識は時代によって大きく変化していく。明治時代には、洋画家の黒田清輝が描いた裸体画ですら、布で覆われて展示されたことがある。今では全裸の彫刻も裸体画も、公共施設に普通に置かれているが、誰も問題視する人はいない。その時々の印象論で、あれはだめ、これはだめと決めつけることがいかに問題であるか、よくわかるだろう。

 性的に卑猥な漫画は規制されるべきだという意見も多いだろう。しかし、こうした議論はしばし拡大解釈される可能性がある。例えば、性的に卑猥だと審議されてしまえば男の裸を描くことも問題視される可能性もあるし、ボクシング漫画の血の描写ですら暴力的で野蛮だとみなされると、規制される可能性もある。このように、審議に関わる人の印象によって判定が左右される可能性が高いのが、問題なのである。

 日本の漫画は他国に比べると、規制が緩いといわれる。それはその通りだろう。しかし、その規制の緩さゆえに多彩な表現がうまれ、世界に知られる文化になったのは間違いない。安易な表現規制は、自由な表現を委縮させ、若いクリエイターの挑戦心を奪うことに繋がると指摘されている。

 子どもがもし内容に問題がある漫画を読んでいたら、親が「こんな漫画を読んじゃいけません!」と怒れば済む話ではないか。なぜ、わざわざ行政や政治が、あれはだめ、これはだめと、決めつける必要があるのだろうか。家庭教育の在り方についても、考えていくべきなのかもしれない。

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