『鬼滅の刃』“霞柱”時透無一郎はなぜキレたのか 壮絶な過去と兄・有一郎の言葉を振り返る

無一郎の無は“無限”の“無”

 ではその、「痛い所を突かれた」とはいったいどういうことなのか。それはもちろん、無一郎自身、鬼がいったように、自分たち家族が「いてもいなくても変わらない、つまらない」存在であるということに、薄々感づいていたということである。

 しかし、その一方で、「そんなことはない」という強い想いも彼の中であったはずだ。そうでなければ、自我を失うほどに激しくキレることはないだろう。

 たしかに、死んだ父も母も、端から見れば、何かを成し遂げた偉大な人物というわけではないかもしれない。いまの兄との質素な2人暮らしも、決して楽しいものではない。だが、先にも述べたように、父は息子にこの世界で生きていくための“大切な教え”を伝えてくれてはいたのである。

 「人は自分ではない誰かのために、信じられないような力を出せる生き物なんだよ」――父のこの言葉が心の奥に刻み込まれていたからこそ、いったんは家族のことを忘れ、冷たい現実主義者に変わり果てていた無一郎も、心優しい“本来の自分”を取り戻すことができたのではないだろうか。そしてまた、彼のことを最後まで気にかけていた元担当の刀鍛冶・鉄井戸の想いや、兄・有一郎が死ぬ前にいった、「無一郎の無は“無限”の“無”なんだ」という言葉を思い出すこともできたのではないだろうか。

 いずれにせよ、記憶を取り戻した後の時透無一郎は、「自分ではない誰かのために、無限の力を出せる」剣士として逞しく成長する。彼が鬼殺隊を支える真の意味での「柱」となったのは、この時だったといえるだろう。

※本稿で引用した漫画のセリフは、原文の一部に句読点を加えたものです。(筆者)

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