村上春樹待望の新作はどんな内容になる? 昨今のマルチな活動から読み解く


 作家の村上春樹氏が原稿用紙1200枚の新作長編小説を新潮社より4月13日に刊行する。2017年2月刊行の『騎士団長殺し』以来、6年ぶりとなる書下ろし長編で、タイトルと内容はまだ明かされていない。氏の長編小説では初めて刊行日に電子書籍も配信する。

 情報が明かされ刊行のニュースが流れるやいなや、SNS上では春樹ファンを中心に大きな話題となった。「めちゃくちゃ嬉しいニュース」「長編を待ちわびていた」「刊行に向けて旧作を再読したい」といった声が広がっている。新潮社の告知ツイートには数千いいねもつき拡散されるなど、さすがの人気ぶりだ。

 一体、どんな作品となるのだろうか。昨今の村上氏の活動からその手がかりのようなものを探っていこう。

 村上氏の活動はここにきて益々、字義通りの意味で「マルチ・メディア」化の一途を辿っている。濱口竜介監督により映画化された『ドライブ・マイ・カー』は昨年、アカデミー賞国際長編映画賞を受賞し、世界中から称賛された。また、一昨年には母校の早稲田大学に国際文学館、通称「村上春樹ライブラリー」がオープン。村上氏にゆかりのある書籍やレコードなどが置かれ、自身も登場するトークショーからジャズコンサートまで多彩なイベントを開催している。

 「村上春樹ライブラリー」に巨額寄付したのはファーストリテイリング代表の柳井正氏だが、そのユニクロから発売された村上春樹関連Tシャツも話題になった。さらには村上氏がDJをつとめるラジオ番組「村上RADIO」では、自身の愛するジャズやロックなどの音楽を旺盛に紹介する。雑誌や新聞にも頻繁に登場し、昨秋は「BRUTUS特別編集 合本 村上春樹」といった特集も組まれた。

 複数のメディアで横断的に活動することは、作品にどんな影響を与えるだろうか。他の表現手段ではなしえないことを実践することで、小説の純度を高めていくかもしれない。もしくはデビュー作『風の歌を聴け』でもラジオが重要な主題として登場したように、なんらか具体的な形で反映されるかもしれない。

 ここで思い出されるのは、20年に発表された短編小説集『一人称単数』を自身が紹介した文章だ。「『一人称単数』とは世界のひとかけらを切り取る『単眼』のことだ。しかしその切り口が増えていけばいくほど、『単眼』はきりなく絡み合った『複眼』となる。そしてそこでは、私はもう私でなくなり、僕はもう僕でなくなっていく」。そのいわばマルチ・メディア的な視点が、新作においても発揮されるだろうか。

 そして注目したいのは、長編前作『騎士団長殺し』の17年から今年までの世界情勢の大きな変化だろう。必ずしも社会への応答として小説を書くわけではないだろうし、執筆期間とどれくらいの一致があるかも不明だが、なんらかの影響がないとは言い切れないだろう。

 この間、新型コロナウイルスが世界を席巻し、各国はこれまで経験したことのないパンデミックに襲われることとなった。村上氏は仏紙リベラシオンのインタビューで、その感染拡大について「グローバル化やポピュリズムと切り離せないできごとだった」とコメントを述べている。

 また、昨年よりロシアのウクライナ侵攻があった。村上氏はそれを受けて戦争に対する意見を話している。「村上RADIO」で「戦争は基本的に、人を殺傷することを目的として行われる行為」であり、それを主導する人々は「ものごとをねじ曲げて正当化していく」、それは「何もロシアだけではなく、戦争に携わる国の指導者がしばしばおこなうごまかしです」と最大級の批判をした。

 また、日本においては昨年、安倍元首相の殺害事件とその背景にあった新興宗教の問題がクローズアップされた。オウム真理教団・地下鉄サリン事件の関係者を取材した『アンダーグラウンド』やカルト教団を描いた小説『1Q84』の作者は、新作においても宗教の問題を描くことで、新たな境地へと達するだろうか。

 上記のような作家を取り巻く環境の変化から、新作の内容を予測するのは慎むべきことかもしれない。ただ、同時にそうした変化が執筆に影響しないわけがないということも言えるはずだ。直接的にテーマとして言及されるかはまったくの未知だが、後世から振り返ったときになんらかその影響は見てとれるだろう。ただ今は続報を待ちながら、近作を再読することで春樹ワールドに浸ってみたい。

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