直木賞候補作家・河﨑秋子が語る、介護と推し活を描いた背景 「絶望を背負いながらもどうにか日常を守る」

アイドルを推すことは尊い

――推す対象を見つけられずにいる河崎さんが、アイドルを推すことでどうにか日々を生き延びている琴美を描くことで、何か発見はあったのでしょうか。 

河﨑:ティーンの少女を推すことに対し、琴美の友人が「理解できない」と言いつのる場面があります。客観的に見れば、その友人が言うように、アイドルを推すことは少女性の搾取なのかもしれません。それは琴美自身も、うっすら自覚しています。だけど、推しに対する信仰にも似た想いや切実さみたいなものは、何も知らない人たちが、わかったような理屈で安易に括れるものでもない、とも思うんです。自分一人ではとても耐えられないような環境を、誰かの幸せを願うことで、かろうじて生き抜いているという人も、きっと少なくないでしょう。そのうえで、たとえ推しが、最初に好きになったときとは違う姿になったとしても、目の前から去ってしまったとしても、その人がその人らしくこの世に在り続けることを願い、応援できるというのは、シンプルに、とても美しい行為だなと思いました。 

――〈神様は人が乗り越えられるだけの不幸しか与えないと言ったのは誰だったか〉という文章がありました。〈その考え方にばかやろうと言いたい。私も、父も、越えられないものばかりだ。奇跡の中に生きるのは、『ゆな』みたいに輝く一部の人間だけだ。普通で罰当たりな自分たちは、犬の生死ひとつにもいちいち心痛めて蹲っているのが現実だ〉と。なぜ人は推しを必要とするのか、それがひしひしと伝わってくる一節だと思います。 

河﨑:不要不急の話もそうですけど、自分の力ではコントロールのきかない状況に身を置かれた場合、自分の意志はさしおいて、いろいろと我慢しなきゃいけないことくらい、みんな頭ではちゃんと理解しているんですよね。だけど感情面ではどうしても我慢できない、理解したくなくて喚きだしたいような気持ちがある。そんななか、上から目線で「神様は~」とか言われても腹が立つだけだし、我慢しなきゃいけない理由をとうとうと述べられても「わかってるよ!」と反発したくなるじゃないですか。だからといって、誰かのせいにもできないし、したところでどうにもならないし……。そんななか、昨日と同じ今日を、今日と同じ明日を続けていくための原動力も、そうそう湧いて出てきやしない。しゃあないな、と諦めながらどうにかやっていくしかないんですよ。特に介護は、夢や希望という言葉から遠い場所にあるものですからね。相手は、必ず老いて、今よりも弱っていくわけだから。 

――同時に、いつまでこれが続くんだろうという、終わりのなさに対する絶望もある。でも終わりを願うことは、父親の死を願うことでもある。その罪悪感も背負う彼女がゆなを必要とするのは、正しくて強い人になれない自分を絶対に彼女だけは責めないでいてくれるから。その指針があれば自分自身のことも見失わずにいられるという描写も沁みました……。 

河﨑:穢れなき救いとして推しを信仰することで、絶望を背負いながらもどうにか日常を守ることができる。それがどんなに得難く尊いことか。介護も、コロナ禍も、「私たち、ものすごく頑張ってるよね」「すごい、ちゃんと生きてるじゃん。しかも明日も生きるつもりなんて、えらい!」みたいな気持ちでないと、乗り越えていけないと思うんですよ。もちろん、感情が揺さぶられる活動である以上、推し活にだってネガティブな側面はありますし、SNSが荒れるのを見て、心が揺らぎそうになることも、あるでしょうけれど。 

――琴美の父親も、推し活に理解がないのかと思いきや、実は……という場面がありましたね。あれで一気にお父さんのことが好きになりました。 

河﨑:憎みきれないですよね(笑)。もともと教育者だから、きっちりかっちりした性格で、昔はそれが美徳だったけど、今は頑固すぎて、困った部分でしかなくなって……という老いを見るのは琴美にとってつらいことだし、同居していたらさぞかしストレスもたまるだろうとは思います。でもお父さんもちゃんと一人の人間として、娘とは切り離されたところで自分の人生を生きていたんだな、というのが書けてよかったです。介護が主軸なので、つらい物語にしようと思えばいくらでもできましたが、さっきも言ったとおり、人生って意外と善意でまわっていることが多い。そのせいで思いがけず悪い方向に物事が転がることもあれば、サプライズプレゼントみたいな幸運が舞い込むことがあるよ、というのも書けてよかったな、と。 

――直木賞ノミネート後第一作ということで、注目度も高まっているなか、『絞め殺しの樹』(ノミネート作)とはまるでテイストの違う物語に、驚いた読者も多いのではないかと思います。今後は、どういった作品を書かれるご予定でしょうか。 

河﨑:今作で介護の話はいったん書ききった気がしているので、しばらくテーマに選ぶことはないと思います。次は……そうですね。編集者さんとの相談のなかで決めていくことですけれど、また全然、違うテイストのものになるんじゃないでしょうか。一冊、一冊、ひとつのテーマを書ききるくらいのつもりで、新しい作品を紡いでいけたらと思っています。 

関連記事