【巨匠が愛したグルメ】『釣りキチ三平』矢口高雄「弥助そばや」の冷がけそば(秋田・羽後町)

秋田・羽後町では、そばと言えば「冷がけ」のこと

矢口が愛した「弥助そばや」では、“冷がけそば”と呼ばれる冷たいかけそばが名物だ。羽後町では、そばと言えば冷がけを指すほど定着している

 弥助そばやが生み出した冷がけそばは、近年、町おこしの一環として注目されるようになった。近くにある道の駅「うご」では、弥助そばや直伝のそばを味わうこともできる。他にも町内には数店のそば屋のほか、矢口が羽後町で生活していた時代から営業している飲食店も多い。巨匠が仕事の合間に味わったであろう“昼めし”を堪能できるのが、羽後町の魅力と言っていい。

 弥助そばやから徒歩で5分ほどの位置にある「黒澤家住宅」は、矢口が下宿していた家である。『9で割れ!! ―昭和銀行田園支店』でたびたび登場し、その佇まいは矢口が暮らした当時のままだ。また、町の中心部にある北都銀行西馬音内支店は、矢口が在職していた羽後銀行西馬音内支店を引き継いだ店舗だ。店舗の位置は当時と変わっているものの、矢口の人生を語るうえで重要なスポットといえるだろう。

矢口が下宿した黒澤家住宅は、江戸時代末期に建てられた歴史ある町家(写真=背尾文哉)

 そして、矢口が釣りに目覚めたのもこの頃だった。早朝に起きては鮎釣りに出かけ、その足で銀行に出勤するほどのめり込んだ。なんと、地元の鮎釣り選手権で優勝してしまったほどで、筆者が過去に行ったインタビューでも、「僕はこのとき、釣りの才能があるんじゃないかとびっくりしたよ」と嬉しそうに話していた。笑顔で釣りの話をする矢口は、まさに“三平クン”そのものだった。

 矢口高雄は、手塚治虫にも劇画の作家にも描けない、自分しか描けない漫画を模索した結果、釣り漫画に行きついたという。そして、故郷秋田の風景を活かした作風へと繋がっていったのだ。もしかすると、西馬音内支店に赴任し、釣りに目覚めなければ、『釣りキチ三平』は生まれなかったかもしれない。そう考えると、羽後町は矢口の創作に大きな影響を与えた町ということができるだろう。

 矢口高雄ファンならば、一度は訪れたい聖地であり、食べるべき一杯、それが「弥助そばや」の冷がけそばなのだ。

関連記事