加賀まりこ、細野晴臣、松任谷由実らが推薦コメント 破天荒な音楽プロデューサー川添象郎の自伝『象の記憶』
破天荒な音楽プロデューサー川添象郎が初めての自伝『象の記憶 日本のポップ音楽で世界に衝撃を与えたプロデューサー』を、7月30日にDU BOOKSから刊行する。刊行にあたって、加賀まりこ、細野晴臣、松任谷由実、ミッキー・カーチス、 吉田美奈子、小尾一介、坂井直樹、シー・ユー・チェンといった音楽界・ビジネス界の重鎮がコメントを寄せた。
著名人からのコメント
加賀まりこ(女優)
「象郎には、正直、ナンニモしてもらったことがない。
でも、何故かほっておけない奴だ。
川添と聞くと、象ちゃんよりも、父上の川添のパパが蘇る。
“ブラボー”
1965年、日生劇場「オンディーヌ」初日。
川添のパパは、誰よりも先に立ち上がり、喝采をくれた。
1960年、飯倉キャンティの初日、象郎に引っぱっていかれた小娘に、当たり前に椅子を引いて、大人扱いをしてくれる、パパの本当の育ちのよさ。
1964年、カンヌ映画祭、川添のパパの心配りで、飛行機から下りたばかりの“女優”に、大きな花束とフラッシュ。遊び気分が吹っとんだ。東洋から来た、名も無い女優に、喝をくれたのだ。
「人類多しといえど、殊更に我に悪敵はなきものなり。恐れ憚ることなく、心事を丸出しにして飄々と応接すべし」
この言葉のままに生きた、この父と子。
他人と自分をくらべたりせず、心の底から、笑っていろと教えてくれた。
それが川添家の血なのだろう。」
細野晴臣(音楽家)
「川添さんはスパニッシュ・ギターのアーティストであり、同時に欧米スタイルのショービジネスを日本で展開し、YMOの世界ツアーを仕切った恩人でもあります。その頃の話はいつ聞いても面白く、感心してしまい、そういうことが詰まった本を待っていたので嬉しいことこの上ありません!」
松任谷由実(シンガーソングライター)
「出鱈目?
それとも啓示?
15歳の私も、六本木の街角で川添さんのマッドなヴァイブスに巻き込まれたひとりです。
いつまでも、そんな存在でいてください。」
ミッキー・カーチス(歌手、俳優)
「洋も和も、あらゆるアートに精通し、センスは抜群!
いろいろあったが、なぜか憎めないやつ。
こんな男とはそうそう出会えるもんじゃない。」
吉田美奈子(音楽家)
「超絶型破りなこのお方、転んでもただでは起きず、それが底の知れぬ水溜まりであったとしても、絶対にその手の中に世間があっと驚く宝物を掴んで起き上がる、言わずもがなのお方なのです。そのアドレナリンの量と記憶力は他に類を見ず、時代がどう変わろうと一切ブレない品格のある筋金入りの審美眼には、ただひたすら平伏するばかりだ。最後の本だなんて言わないで、「美しさ」の不可思議な成り立ちを、どうかその毒舌で語り続けていただきたい。こんなに極上で素敵な人とは、もう二度と廻り逢えないのだから!」
小尾一介(Google株式会社執行役員などを経て、クロスロケーションズ株式会社代表取締役社長)
「川添さんと私の出会いは、学生から社会へと飛び出すのにいろいろと思案していた時期であり、まさに川添さんは私のその後の人生を決定づけた師匠であります。当時はまだその内容が広く理解されていませんでした「プロデュース」という仕事のイロハをお教えいただきました。その後アルファレコードの立ち上げやYMOに関われたのも川添さんのおかげです。私はYMO以後「デジタル」という分野に進み、現在はインターネットに関わる仕事についておりますが、今でも川添さんから学んだ「プロデュース術」とも言うべきナレッジは私の中で生きております。」
坂井直樹(コンセプター)
「最後の東京のお坊ちゃんというイメージで僕たちは象ちゃんを見ていました。
やんちゃな一面、教養もあり、音楽プロデューサーとしてのクリエイティブの能力はすごく高い。二人で仕事をしたのは空間プロデューサーという言葉がバズワードになっていたバブル時代に、私がプロデュースしたビアホール。象ちゃんにはホールの中のレストランのプロデューサーをお願いしました。この本は戦後からバブル時代の記録としても面白い。キャンティというサロンを通して、ロバート・キャパや、ピエール・カルダンなど、グローバルで豊富な人脈が象ちゃんという才能につながっていきます。そしてなによりも象ちゃんは最高に楽しい遊び仲間です。」
シー・ユー・チェン(CIA Inc. Piii Founder & Executive Chairman)
「1968年の東京で誰よりも欧米の音楽、アート、ファッション、エンターティンメント、フォトグラフィーに関して、生のグローバルネットワークを持っていたのは、川添象郎さんです。象ちゃんに紹介された未来学者、思想家、哲学者、歴史哲学者である仲小路彰さんは、僕の人生の指針を示してくれました。」
村井邦彦(音楽家)
「この本に書かれているショウちゃんの若い頃のハリウッドやラスベガス、グリニッジ・ヴィレッジやマドリードなどでの修業時代の話は本当に面白い。海外でこんな経験をしてきた日本人はあまりいないと思う。この本を読むとその修業が後のYMOの成功をはじめ数々のプロデュ―ス作品の成功に大きく役立っていることがわかる。
僕がキャンティに行くようになった1960年代はじめ、ショウちゃんはグリニッジ・ヴィレッジでフラメンコ・ギターに熱中していた。時折弟の光郎に手紙を書いて様子を知らせていたのだが僕はキャンティでその手紙の一つを義母のタンタンやみっちゃんと一緒に読んだことがある。本書にでてくるグリニッジ・ヴィレッジの暮らしのことが書いてあった。その頃のショウちゃんは読書家でドス・パソスの『U.S.A.』なんかを読んでいてその感想や時間と空間をどう考えるかなどという哲学的な事も書いてあったことを思い出す。ショウちゃんが一生の締めくくりに本を出すことができて僕もうれしい。」
川添 象郎(かわぞえ しょうろう)
1941年東京都生まれ。父はイタリアンレストラン「キャンティ」を創業し、国際文化交流事業で知られる川添浩史、生母はピアニストの原智恵子。曽祖父は明治の元勲、後藤象二郎。60年に渡米。舞台芸術とショービジネスを学び、フラメンコ・ ギタリストとしても活動。前衛劇『六人を乗せた馬車』に参加し、世界ツアーを経験。帰国後、反戦 ミュージカル「ヘアー」をはじめ、音楽と演劇を中心にプロデュースをおこなう。1977年に 村井邦彦とアルファレコードを創設し、荒井由実、サーカス、ハイ・ファイ・セットなど、現在では「シティポップ」 として世界的にも評価される、都会的で洗練された音楽をリリース。YMOのプロデュースでは、世界ツアーを成功に導き、日本を代表するポップカルチャーとして仕立て上げた。イヴ・サンローランの日本代表やピエール・カルダンのライセンス開発も手掛け、1980年代半ばには、空間プロデューサーとしても活動。女優・加賀まりことは幼馴染。女優・風吹ジュンは元妻。4番目の妻は林真理子の小説『アッコちゃんの時代』のモデルとなった小出明子。本人もなかにし礼の実名小説 『 世界は俺が回してる』に主人公・渡辺正文の親友として登場。2007年には再び音楽プロデュースに復帰し、SoulJaをプロデュース。青山テルマ feat.SoulJa「そばにいるね」 は日本で最も売れたダウンロードシングルとして、ギネス・ワールド・レコーズに認定。2011年にプロデュースしたふくい舞『いくたびの櫻』 はレコード大賞作詞賞を受賞。本書は回顧録を残さなかった川添家の初の自伝となる。
書誌情報
『象の記憶 日本のポップ音楽で世界に衝撃を与えたプロデューサー』 川添象郎 [著]
四六/並製/312頁(予定)
予価:本体2,300円+税
ISBN978-4-86647-175-4
https://diskunion.net/dubooks/ct/detail/DUBK324