阿泉来堂『贋物霊媒師』、呉勝浩『爆弾』、年森瑛『N/A』……立花もも推薦! おすすめ新刊小説4選
昨今発売された新刊小説の中から、ライターの立花ももがおすすめの作品を紹介する本企画。今月はうさん臭い霊媒師が活躍するホラーミステリー『贋物霊媒師 櫛備十三のうろんな除霊譚』を筆頭に、直木賞・芥川賞の候補作も含めた4作をお届け!(編集部)
阿泉来堂『贋物霊媒師 櫛備十三のうろんな除霊譚』(PHP文芸文庫)
“今世紀最強の霊媒師”としてメディアで活躍する櫛備十三は、とにかく舌がよくまわる詐欺師のような男である。霊が見えるというのは嘘ではないが、見えるだけで除霊する能力はもたないし、メディアに求められるがまま嘘八百のドラマティックなストーリーを並べ立てる。見えているのに確信犯的に嘘をつく。それはもしかしたら、見えないのをいいことに好き勝手を言うより、たちが悪いかもしれない。超能力めいたものはもたないけれど、卓越した観察眼とコールドリーディングを用いた推理力で、櫛備は現場で起きるさまざまな謎を解き明かしていくのだが、はったりに騙されるのは彼の仕事相手や霊ばかりではない。物語の展開に慣れ、キャラクターの存在になじむほど、読者は予想を裏切られ「そういうことだったのか!」と驚きを味わうことになる。本作に関しては何を書いてもネタバレになる、というか驚きを薄めてしまう効果しかないと思うので、少しでも興味をもった方はぜひお手に取っていただきたい。なお、どんでん返し×戦慄ホラー×極上ミステリーと帯にあり、確かに戦慄する瞬間はたびたびあれど、ホラー映画は絶対に観ないと決めている筆者が読んでも夜はちゃんと眠れたので、それほどおびえる必要はないと思う。
ちなみに櫛備は、顎髭をはやした推定四十代後半。なぜかいつも喪服に身をまとい、金の装飾がほどこされた杖をもって、右足をやや引きずっている。いったいどんな過去をもち、どんな生活を送っているのか? 彼の存在自体がいちばんの謎である。秘書の美幸ちゃんとの関係性もふくめ、もっと読みたいのでシリーズ化への期待を込めて、今月のおすすめ本とする。
呉勝浩『爆弾』(講談社)
自分には霊感があり、事件を予知して捜査の手助けをすることができるかもしれない、と酔って暴行事件を起こした男が言うところから始まる本作。こちらは本当に“贋物”で、霊感があるわけではない。もちろん警察も最初からそんな与太話は信じていない。だが、スズキタゴサクという明らかな偽名を名乗るその男が示唆したとおり、秋葉原で爆破事件が発生。事件はまだ続くことをほのめかすスズキを拘束し、警察は被害を食い止めるべく、取り調べを始めるのだが……。
物語のほとんどは、取調室という密室で、会話劇の形で進んでいくのだが、このスズキの語り口が妙に魅力的で、読みながら“つい聞き入ってしまう”という感覚を味わう。刑事相手にゲームを仕掛け、倫理観や正義感に揺さぶりをかけ、少しずつ相手の心を飲み込んでいく。その手中に、読者である私たちもいつのまにか落ちている。
スズキは問う。自分と無関係の人間が、自分が困窮していても手を差し伸べてくれるわけでもない人たちが、どこで何人死のうとどうでもいいではないか、と。どうでもいいはずがない、と言うのは簡単だ。けれど本当に? 自分と、自分の大切な人さえ当事者にならなければいいと、心のどこかで思っていないか? と揺さぶられ、何を信じていいのかわからなくなてつぃまう。スズキの雑談に仕込まれた、謎解きパズルのようなヒント。かつて警察で起きた不祥事と今回の事件の関連性。息をつく間もなくページを進めてしまい、一気読み必至の本作は、第167回直木賞にノミネートされた。受賞、なるか。少なくとも近い将来、映像化はされることだろう。
年森瑛『N/A』(文藝春秋)
芥川賞ノミネート作品からは、異例の満場一致で第127回文學界新人賞受賞が決まった本作。「N/A」とは、「not applicable=該当なし」を意味するエラー値のこと。高校生の少女まどかを主人公に、既存のカテゴリーにあてはめられることへの違和感を描き出す。
まどかは中学時代からいわゆる摂食障害で、体重は常に40キロ弱。理由はただ「生理がいやだったから」。生理痛やPMSがつらくて耐えられない、とかではなく、ただただ不快だったから。低体重になれば生理が止まると知って、食べることをやめただけ。けれど周囲は、〈痩せていなくてもありのままのあなたの姿が美しいですよ〉〈生理は汚くないし恥ずかしくないことですよ〉とまどかをなだめようとする。嫌なものは嫌だ。それだけのことが伝わらないことに対する違和感を、まどかは抱き続けている。
それと同様に、同性の恋人・うみちゃんが自分たちの関係をSNSで、認められるべきものとして発信し続けていることにも、まどかは戸惑う。まどかは当事者になりたいわけじゃない。誰かに気遣われたいわけでも、配慮されたいわけでもない。ただただ、そのままの自分で在ることがどれほど難しいのか、他者との関係で歪められてしまうものに、居心地の悪さを覚える。けれどそれは、まどかだって同じなのだ。誰かを理解するために、何かにあてはめてカテゴライズしようとすることは、コミュニケーションをとるうえでは避けられない。孤立するでも断絶するでも、はたまた連帯するでもなく、違和感を抱えたままどう生きていけばよいのか。そのまっすぐな問いは、多様性という言葉が独り歩きしているきらいのある現代社会に、違和感を抱くすべての読者に寄り添うものだろう。