村田沙耶香が語る、世界に向けて小説を書くこと 「自分にとって都合の悪い作品を作りたい」

 今の自分が見ている現実は、絶対的なものではないかもしれない。村田沙耶香はこれまでも読者の足元をぐらつかせるような小説を書いてきたが、最新作『信仰』(文藝春秋)でもまた、既存の価値観を問い直している。 

 好きな言葉は「原価いくら?」だという現実主義者の主人公が、同級生からカルト商法を持ちかけられる––。「信じること」に正面から向き合った表題作をはじめ、65歳時点で生きている確率が可視化された世界を描く「生存」など、8篇の小説・エッセイが収録されている。 

 フェイクニュースや陰謀論が飛び交う現代において、信じるとは一体、どういうことなのか? どのような思いで小説を書いているのか? 村田に今、作家として感じていることを聞いた。(小沼理) 

速度の速い正しさが怖い


――表題作の「信仰」を書いたきっかけを教えてください。 

村田:知り合いがマルチにハマった時とか、友達がモラハラしてくる人と付き合っていて別れられない時とか、その人を説得していると「こっち側」に勧誘している気分になる時があって……。まずは顔に出さないように否定せず話を聞いて、やんわりしたところから質問して、友達が「実はこういう不安があって……」と言い出したら、すかさず「今だ!」と、こちらが正しいという証拠をすっと差し出して、というような。このやり口というか、相手の揺らぎにつけ込んで説得するのって、友達をマルチに誘った人と何が違うんだろうと思うことがあります。 

 そういう説得はだいたいうまくいかないんです。その時に「ああ、自分側に引き戻せなかった」と思う自分にある種の傲慢さを感じるし、友達もきっとその傲慢さに気づいているんだろうなって思います。その人の一番大事なものを、自分は踏みにじっているんだ、と感じます。自分が正しいと思うものに誰かを引き込む暴力性について考えていた時、イギリスの『Granta Online』から「自由なテーマで書いてください」と依頼があったので、小説として取り上げることにしました。 

――「正しさ」や「信じること」には昔から興味があったのでしょうか? 

村田:その時期、特に考えていたのですが、関心は昔からあったかもしれません。小学生の頃から小説を書くのが好きだったのですが、「麻薬は良くない」というCMを見てそのまま「麻薬は良くない!」と主張する小説を書いたことがありました。他にも、何かに影響されて「人種差別はダメ」という小説を書いたり。ただ、今振り返るとそれらはものすごくステレオタイプで、非常に差別的なものだったので、それを小学生が書いたことにぞっとします。 

 私の場合は「これが正しいんだ」と確固たる思いがある時が危うくて、そうして書いた小説を後から読み返すとおぞましいことが多いです。速度の速い正しさは怖いなと感じます。子どもの頃はそのおぞましさに気づけなかったし、今でも気づかず取り込まれていることがあるなあ、と思っています。 

――村田さんはこれまでの作品でも、今とまったく違う慣習が当たり前になった世界を描いています。死んだ人の肉を葬儀で食べる「生命式」や子どもを10人産んだら1人殺していい「殺人出産」などがありました。「信仰」と過去作で通底するものはありますか? 

村田:自分というものを信じられない感覚がどの作品にも通じている気がします。正しいと思って頑張ってやっていたことが間違いだったと後からわかったり、世界から言わされている言葉なのに、自分で考えたと思って一生懸命喋っていたりする。そういうことへの怖さが常にあります。 

みんな「信頼できない語り手」として生きている


――「信仰」では、主人公・永岡ミキの友人たちが「鼻の穴ホワイトニング」や縄文土器にしか見えないお皿のブランド「ロンババロンティック」に夢中になる描写があります。カルトを嘲笑しながらも、流行り物には熱狂し昔からそれが価値あるものだったかのように振る舞っていますね。そんな友人に戸惑うミキの姿が印象的でした。 

村田:今では多くの人が普通にやっている歯の矯正やホワイトニングも、たしか私が幼い頃は「外国の人はしているらしいよ」みたいな感じだったと記憶しています。食べ物や地球環境に対する考え方など、あらゆる価値観がどんどん変わっていきますよね。その中で自分もいつの間にか以前とまったく違うことをしているのが、時々すごく奇妙に感じることがあります。 

――ミキたちがはじめるカルト商法の教えでは、「天動説」を信仰のモチーフにしていますね。不思議な感じがしますが、地動説が登場する近代までは天動説が正しいものとして信じられていました。 

村田:アメリカでは今も天動説を信じている人がけっこういると聞きました。英語を習っているのですが、先生がニュースを教材にして教えてくれていたことがあって。「信仰」を執筆する前、先生が「次のテキストはこれにしよう、きっと沙耶香が好きだから」と言って読ませてくれたのが、お金持ちの年配の男性が天動説を証明すると言ってロケットで空に飛んでいったというニュースでした。なんで私がそのニュースを好きだろうと思ったのかはよくわからずにいるのですが……。 

 英語だったので曖昧なのですが、私の記憶では、その方は「地球は平坦で、端っこは分厚い氷の壁に囲まれているに違いない」と言っていたそうです。そのイメージが妙に具体的で、もし学校で絵を見せられながら繰り返し説明されたら私も信じてしまったかもしれないと思いました。 

――そんな中、ミキは徹底した現実主義者であり続けます。 

村田:ミキにとっては原価が信仰なんですよね。気持ちはわかるけど、こんな人がそばにいたら嫌だなと思います(笑)。ディズニーランドや高級レストランでいちいち原価がどうと言われたら「なんでそんなこと言うの、それも楽しむためのお金だよ!」と思うだろうなあ、と。 

 いわゆる「信頼できない語り手」の小説を書くのがけっこう好きなんですけど、ミキもそういう部分がありますよね。全然信頼できない語り手ですが、だからこそ読者は引いた視点で見ながら、その内側から出てきた言葉を眺めることもできる。現実の人もみんな少なからず信頼できない語り手として世界を生きていると思うのですが、自分ではない語り手の視界を書けるのが小説の面白さなのかもしれません。 

――「信仰」はラストシーンが印象的ですが、どのように決めたのでしょう? 

村田:ミキが最後にどうなるのか、自分でもわからないまま書いていました。でも、結局揺るがなかったんですよね。もしもこの短篇が100枚、200枚と続いてもこの人が変わることはないだろうと思った時、最後のシーンが決まりました。 

 いつも結末をまったく決めずに書きはじめるので、どうしてこうなったか自分ではさっぱりわからないものばかりなんです。小説を書く時は、最初にまず主人公の似顔絵を描きます。次に周囲の人や住んでいる街の光景を描いて、それを(頭の中で)水槽の中に入れます。水槽の中をいじっていると自動的にいろんなことが動き出すので、それをできるだけ誠実に書き留めるという書き方をしています。 

――似顔絵を描くんですね。 

村田:見せられないくらい下手な似顔絵なんです。以前テレビの収録でその似顔絵のノートを撮りたいと言われて持っていったら「やっぱりいいです」と言われたくらい稚拙な絵なんです。 

――かえって気になります(笑)。ミキはどんな似顔絵だったのでしょう? 

村田:顔立ちだけでなく、身長や、服装や髪型、ヒールなのかスニーカーなのかといったことも考えています。ミキだと、ロンババロンティックを買うようなセレブ感のある友達に合わせているので、本人は興味がないけど一応きれいな服装をしている。周囲に合わせて自分はまったく着たくない服を着ていて、瞳はいきいきしていなくて濁っている印象を与えるような。そんなふうに考えながら描きました。

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