それでもあなたは間違っているーー漫画家・筒井哲也が「表現の自由」と「自己規制」の狭間で描いてきたもの

 約15年前、筆者は当時働いていた都内のアニメスタジオの資料棚から、何気なく一冊の漫画を取り出した。その漫画を選んだ理由は覚えていない。ただ、なんとなくタイトルとシンプルな表紙、デフォルメされすぎていない絵に惹かれたのだ。

 それからすぐに海外に引っ越しをしたため、日本の漫画に気軽に触れる機会を失ってしまったが、その漫画のことを忘れたことはなかった。すでにタイトルも作者名も絵面も思い出せなくなっていたが、「それでもあなたは間違っている」というセリフとなんとも言えない読後感は、忘れたくても忘れられなかったのだ。

 あれから約10年が経過し、記憶を頼りにその時の漫画を探した。もう一度読みたいと願っていたのは、筒井哲也の『マンホール』(スクエア・エニックス)だった。

 今日は、筆者が敬愛する筒井哲也と彼の作品について語っていこうと思う。

「それでもあなたは間違っている」

 これは『マンホール』に出てくるセリフだ。

 だが、このセリフは『マンホール』という作品の犯人にのみ向けられる言葉ではない。筒井哲也の作品に登場するヴィラン全員に向けられる言葉だ。

 筒井作品のヴィランは、生粋の悪人ではなく、むしろ善人だ。善人が悲惨な経験を経てヴィランになっていく。作品の中では、その過程が丁寧に語られるため、読者はヒーローとヴィランが入り混じる複雑なキャラクターアークを追うことをになる。

 感情か司法か……読者は常に「それでもあなたは間違っている」とヴィランに面と向かって言えるかどうか問われるのだ。

時事ネタを扱う

 筒井作品の特徴のひとつに時事ネタを扱った物語作りがあげられる。

 2004年の『リセット』(スクウェア・エニックス)は、ゲーム世界におけるリセットと現実の死をテーマにしている。

 当時、ゲーム好きの子どもたちに「死んだらどうなると思いますか」という質問をしたところ、「生き返る」という答えが一定数あったと報じられて大きな話題になった。『リセット』では、ゲームと現実を混同してしまう危うさにスポットライトを当てているのだ。

 その後、本作で描かれた「現実と見まごう箱庭」というコンセプトは、メタバースとして再注目される。現実と混同するほど完成度の高い箱庭で、ユーザーはどう過ごすのか、今一度モラルが問われる。

 2011年から2013年にかけて連載された『予告犯』(集英社)は、派遣切りや日雇い労働者、ネットカフェ、私刑を扱っている。ニュースなどで個々に取り上げられる問題をつなぎ合わせて因果関係を明確化することで、派遣切りや日雇い労働の深刻さを伝えている。

 『有害都市』(集英社、連載期間2014年〜2015年)は、筒井自身の『マンホール』1巻が長崎県で有害図書指定を受けた経験と怒りを元に描かれた作品だ。いきすぎた有害図書の取り締まりと、作家として作品を世の中に送り出す責任がテーマになっている。

 日本では猟奇殺人などが発生すると、必ずと言って良いほど犯人が有害とされるコンテンツを持っていたか報道される。これは1988年から89年にかけて発生した東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件の犯人、宮崎勤がホラー映画(を含むさまざまなジャンルの映画)を持っていたことが、ひとつのきっかけと見られる。過激なコンテンツが彼を犯罪に走らせたのではないか、映画や漫画やゲームが原因だったのでは、とメディアは乱暴なこじつけをしようとしたのだ。この事件以来、犯罪と表現の規制はセットで語られることが多い。

 筆者は、『有害都市』が『マンホール』のアンサー漫画の一面を持っているとも思っている。『マンホール』に登場する犯罪者のひとりは極端なアニメオタクだ。部屋中に飾られたグッズやポスターを見て、警官は顔を引き攣らせる。まるで因果関係があったかのような描き方だ。その後に描かれた『有害都市』では、そんなステレオタイプに真っ向から疑問を投げかける。『有害都市』の後に改めて『マンホール』を読むと、解釈に変化が出るだろう。

 『ノイズ』(集英社、2017年〜2020年)は、ふるさと納税で潤った地方の様子や、子育て世帯のIターンで直面する子どもの学業問題、刑期を終えた人の就職先探しの難しさなどが語られている。

 真面目に生きてきた人たちが、部外者(ノイズ)の来訪をきっかけとして犯罪者に転落し、負の連鎖に巻き込まれていく様は悲劇としか言いようがない。犯罪者の更生システムと、受け入れなければならない現状を個々人が考えなければならないと気づかせられるだろう。

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