累計57万部の「世界の知性」シリーズを創刊 PHP研究所・大岩央が語る、新書思想書の意義

質問案だけで1万字を超えることも 

––––取材や準備段階など、制作過程で大切にしていることを教えてください。 

大岩:いま注目の方々への取材なので「何かあったらまずい」と毎回すごく緊張しています(笑)。正確性を保ちながら、一般の読者にも読みやすく分かりやすくすること、そのバランスに気をつけながら制作していますね。それから、何度も取材できるわけではないので下準備がとにかく大切。質問案だけで1万字を超えることもあります。


  また、装丁では本の世界観を体現することにこだわっています。世界的な識者が読者に語りかけてくれている、この人の話なら聞いてみたい……そんな印象を持ってもらえるよう、写真やデザインを吟味しています。『世界史の針が巻き戻るとき』のガブリエルさんの装丁写真も、当初は別写真で3パターンほどデザイナーさんに作ってもらったんですが、どうもしっくりこなくて。もっといいガブリエルさんの写真はないかと必死で探して、ようやく「これだ!」というものをネット上で見つけたんです。ただ、その写真を誰が撮影したのかが分からない。写真をホームページに掲載していたフランスの出版社にコンタクトしたら、「スペインの出版社に聞いてくれ」と言われ、スペインの出版社に連絡したら「バルセロナの新聞社に聞いて」と言われ……バルセロナの新聞社の記者からようやくカメラマンさんの連絡先を入手してメールを送ったのですが、今度はそのカメラマンさんから返事が来ない(苦笑)。 

 もう諦めようかとも思ったのですが、どうにかコンタクトできないかとTwitterでカメラマンさんのアカウントを探し出し、彼のツイートに書き込んだらようやく返事が来た。あの時は心の中でガッツポーズでした。 

––––想定読者はいるのでしょうか? 

大岩:本を作るときは、「この人に向けて作ろう」と、いつも身の回りの特定の誰かを「想定読者」にしています。『世界史の針が巻き戻るとき』は、会社の元後輩の30代の男性をイメージしました。同時に、新書の主な読者層である40~50代のビジネスパーソンにも読んでもらえるように意識しています。 

 新書思想書の意義は、間口の広さと現代性。自分に関係のある話題を、多くの読者に提供しやすい形態です。通常の新書と同じように、「世界の知性」シリーズも気になる著者の考え方や主張、立ち位置をつかんだり、テーマを理解するための入り口として読んでもらえるといいのではないかと考えています。さらに突っ込んで知りたいと思ったら翻訳書を手に取っていただく。翻訳書はハードルが高いと感じている学生の方にも読みやすいと思います。

 
––––最近は海外著者による新書が増えています。この流れをどう見ていますか。 

大岩:やはり、世界的に共通の問題が増えているからではないでしょうか。同じ問題に対して、国内とはまったく違う視点があるのは面白く、多くの人に求められているのだと思います。 

––––大岩さんが注目している思想シーンの動向はありますか。 

大岩:権威主義と民主主義の対立や気候変動問題をどう乗り越えるかというのは、今後しばらく続く大きなテーマではないでしょうか。特に、中国という権威主義国家が脅威として見られる中で、日本から民主主義に関して発言することの意義が増していると思います。 

 また、数年前からの韓国フェミニズムの盛り上がりには注目しています。アジア圏でフェミニズムの機運が高まり、日本の識者とも交流が進んでいますよね。「世界の知性」シリーズは白人男性の識者が多いので、今後はアジア圏や女性の著者を増やしていきたいです。 

日本の知性を世界に届けたい 

––––編集者を志したきっかけは何でしたか。 

大岩:もともとは研究者を志望していたんです。小学3年生の時、父の仕事の都合でスリランカに数週間滞在したことがありました。当時のスリランカはアジア最貧国と言われていて、首都コロンボの路上に出ると、自分と年の変わらない子がいつも物乞いをしていました。そのたびにお金を渡していたのですが、ある時父親から「それも大事だけど、国や社会が変わらないと根本的な問題は解決しないよね」というようなことを言われて、衝撃だったんです。社会には構造的に大きな問題があるのだと気づいて、自分に何ができるだろうと考えるきっかけになりました。学者の家系だったことや、読書が好きだったこともあり、研究者として「言葉の力で社会を変えたい」と思うようになりました。 

 ただ、大学3回生でベルギーに留学した頃から自分は研究者としては大成しないような気がしてしまって。人と会って話すのが好きで、いろんなことに興味が向くタイプだったので、もしかしたら違う道の方がいいのかなと。思い返してみると、本を通して価値観が変わった経験を何度もしていたので、「編集者も言葉の力で社会を変える仕事かもしれない」と思い、出版社の採用試験を受けてみた。落ちたら院試を受けようと思っていましたね。変に準備をしたら適性がないのに受かって苦しむかもしれないと思って、なんの対策もせず、一着だけ持っていた喪服兼用の黒いスーツをリクルートスーツ代わりに面接を受けました(笑)。そうしたらPHP研究所にご縁があって。 

 実は新卒当時は「28歳くらいで辞めてバックパックで世界一周しよう」「そのあとは大学院に行くのもいいかな」なんて思っていたんです(笑)。でも始めてみたら編集の仕事がとにかく面白くて、世界一周するより編集者をやっていた方が楽しいな、と。入社後は女性誌や実用書の編集部を経て、現在12年目になります。

––––これからの展望を教えてください。 

大岩:現在は新書編集部と兼務して、PHP研究所の政策シンクタンク部門であるPHP総研でメインに活動しています。様々な政策アジェンダを設定し、研究会や提言書執筆などを通して政策決定者や一般向けに政策提言をしていく仕事です。 

 この3年間で編集した本が累計で110万部を超え、編集者としてひとつ山を越えたかなと思うようになりました。そこで「次の10年」に何をするかと考えたときに、元からの夢だった研究者という仕事にチャレンジしたいと思うようになりました。今は編集者との2足のわらじを履いている形です。 

 もともとPHP研究所は、「研究所」という社名の通り、松下幸之助の研究提言活動から始まっています。シンクタンクでもあり、出版社でもあるという強みを生かして、良いシナジーを生み出していけたらと思っています。 

 ちなみにPHP総研では「日本のナラティブパワー研究会」という研究会を立ち上げたのですが、そこで日本からユヴァル・ノア・ハラリ氏のような世界的な識者を輩出するにはどうしたら良いかを検討しているんです。海外の方々に取材をしていても、日本のいわゆる「論壇」での議論は十分世界で通用すると感じます。世界の叡智を日本に届けるだけではなく、日本の知性を世界に発信していきたいですね。 

 近年はアジア各国で中間層の読者が育っていて、さらにSNSなどによって情報が瞬時に伝わるようになっている。各国の文化がある面では近づいている実感があります。コロナ以前、韓国やフィリピンなどに招かれて国際的なシンポジウムで世界の出版社の方々とディスカッションする機会があったのですが、皆さん読んでいる本がけっこう重なっていることに驚きました。「世界の知性」シリーズにもすごく興味を持ってくださいましたね。 

 今はグローバルアジェンダの重要性が高まり、世界中が共通の事象に関心を抱いている時代。日本の新書も、方法次第で世界に届くものが必ず作れると思っています。 

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