関東連合・柴田大輔がフィクションに与えた影響とは? ミニマルな物語を通じて描き出された、暴力の内面化

 昨年(2021年)の11月、柴田大輔という人物が死去した。柴田大輔とは何者か。一般的な知名度がどれぐらいであったのかはわからない。だが、2013年にベストセラーの一つとなった『いびつな絆 関東連合の真実』の著者、工藤明男の本名だと聞いたなら、ちょっとした驚きを覚える向きも少なくはないんじゃないかと思う。

 半グレの集団として有名であった関東連合のその元幹部が組織の内情を明かしたとされる『いびつな絆』は、出版されるとすぐにある種のセンセーションとなった。2010年代頃、「半グレ」という呼び名は、暴対法(平成3年施行)以降の裏社会でメイク・マネーする若者たちの代名詞であるかのように周知され、市民権を得つつあった。同時に、それは正体がはっきりとせず、漠然としたイメージとしてしか掴めないものでもあった。大抵の市民からすると、半グレと直接関わり合う機会など持たないに越したことはないのだから、当然といえば当然だろう。しかし『いびつな絆』においては、その漠然としたイメージとしてしか掴めなかった若者たちのおそらくは実態に近い姿が垣間見られたのである。そこに衝撃があった。

 もちろん、『いびつな絆』にも登場してくる石元太一の『不良録』をはじめ、関東連合の関係者による関東連合についてのドキュメントは、今日までにいくつも出版されている。その中でも特に売れ、特に注目を集め、特に読まれたという意味で、メルクマールのような位置にあてられるのが、柴田大輔 a.k.a.工藤明男の『いびつな絆 関東連合の真実』なのだ。

 どこまでが意図的かは不明なのだけれど、『いびつな絆』には何個もの軸が別々に存在している。別々に機能しているそれらのうち、どの軸を中心に取るかで『いびつな絆』に対する感想が動いてしまうところがある。たとえば、市川海老蔵暴行事件の裏側を含め、芸能人、有名人とのコネクションが実名と匿名とを交えながら多々挙げられるあたりは、週刊誌あるいはワイドショー的な関心を引き寄せる軸であろう。一方、「個人単位のリーダー格が、バラバラでシノギを行ってきた」という関東連合の特殊な成り立ちが、芸能プロダクションやAV業界、闇金融やオレオレ詐欺に及んでいくことについて割かれた箇所などは、いかにして半グレの集団に大金がもたらされたのかという謎を紐解こうとする上で不可欠な軸となっている。また、杉並や世田谷の暴走族が渋谷のチーマーを狩り、ヤクザとは種類の違ったアウトローとして六本木でのし上がっていくプロセスは、暴力の渦巻くピカレスク・ロマンにも通じる。不良少年たちによる武骨なアトラクションを味わえる軸である。

 以上のような軸の数々は、いわばフックであって、そのスキャンダリズムが『いびつな絆』の大きなセールス・ポイントになることを著者や編集者が計算に入れていなかったとは考えにくい。事実、それらの軸を延長していく形で『破戒の連鎖 ?いびつな絆が生まれた時代』『破戒 関東連合少年編』『聖域 関東連合の金脈とVIPコネクション』といったシリーズがあとに続くのであった。ただし、『いびつな絆』において看過すべきでない点は他にある。

 関東連合にまつわる一つの物語として『いびつな絆』を見たとき、驚かされるのは主要な登場人物の少なさである。

〈S53年生まれの世代を最年長にしてS58年生まれの世代までの6世代のみを「自分たちの関東連合」と考えるようになっていた〉

 それ以前にも関東連合は活動していたし、OBもいるにはいるが、上に引用した区分を基準に『いびつな絆』は編まれ、主要な登場人物はといえば、さらに限定されていく。語り手にあたる著者、総長である見立真一、S56年生まれの世代でリーダーをしていた石元太一、そして、関東連合と敵対していたグループのキム兄弟によっておおよそのあらましは出来上がってさえいる。もちろん、恣意的に省かれた人物もいるには違いないし、『いびつな絆』に記されている以上に重要な役割を負っていた人物だっていたかもしれない。そもそも関東連合は50人を超えるとされた巨大な勢力である。しかし、その巨大な勢力の隆盛から危機に向かうまでの道筋が、あたかもミニマルな物語であるかのように綴られていることこそが『いびつな絆』の看過してはならない点なのだ。

 家族ではない人間同士のミニマルな物語を通じて描き出されているのは、しいていうなら半グレもしくは暴力の内面化になるのではないか。たとえば、古いタイプの(暴対法よりも昔の)極道映画によくある顛末は、ヤクザが暴力によって社会化し、スケール・アップを果たすことでパブリック・エネミーのごとく見なされていくというものだ。が、半グレの実録物でもある『いびつな絆』においては、若者たちが心の闇のような個人の問題に執着した結果、狭い関係の中で題名にあるいびつさに飲み込まれてしまう。六本木クラブ襲撃事件という最大の失敗に辿り着いてしまうのである。

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