『SLAM DUNK』陰の功労者・桜木軍団 アスリートではない“等身大”の存在が作品に与えた影響

※本稿には『SLAM DUNK』(井上雄彦)の内容について触れている箇所がございます。同作を未読の方はご注意ください。(筆者)

 2022年秋公開予定の映画、『SLAM DUNK』(タイトル未定)。現時点では、監督・脚本を原作者の井上雄彦が務めるということの他は、(どういう物語になるかなど)あまり大きな情報は明かされていないようだが、先ごろ、拳と拳を突き合わせたイラストに、「ただ、負けたくなかった。」というキャッチコピーを添えた新ビジュアルが公開、ファンの間でますます期待が高まっている。

愛すべき不良少年たちの存在が、読者の“共感”を呼ぶ

 さて、今回、私が書きたいのは、同作に出てくる“悪童”たち――そう、いわゆる「桜木軍団」についてである。というのはこの『SLAM DUNK』という作品、読めば読むほど味わい深いものがあるというか、再読するたびに、一読しただけでは見えなかったものがいろいろと見えてくる物語なのだ。

 たとえば、選手を支える各チームの監督たちの生き様なども、リアルタイムの連載時に読んでいた頃はほとんどスルーしていたのだが、“彼ら”と近い年齢になったいま読み返してみると、なんともいえないリアルな感動がある。そのことについては、こちらの記事(「『SLAM DUNK』安西、田岡、金平……大人になってからも響く、名監督たちの教え」)で詳しく書いたので、興味がある方はぜひ読まれたい。

 そして、くだんの「桜木軍団」の存在である。

 「桜木軍団」とは、その名のとおり、主人公・桜木花道の親友たちであり、ひと言で説明するならば、いわゆるヤンキー少年、不良少年たちだ。つまり、『SLAM DUNK』を、(ヤンキー漫画ではなく)本格的なバスケットボール漫画だとするならば、本来は“いらない要素”のはずである。

 しかし、(ともすれば見落とされがちな)彼らの存在が、物語を通して“効いて”いるのは間違いない。

 たとえば、『SLAM DUNK』最終巻(31巻)の「あとがき」で、井上雄彦はこんなことを書いている。「連載前のネームを作ってるときも編集者から『バスケットボールはこの世界では一つのタブーとされている。』と何度か聞かされました」

 要するに「バスケットボール漫画はマイナーだから売れない」ということだろうが、たしかに、『SLAM DUNK』以前に、バスケ物の爆発的なヒット作はなかったように記憶している(コメディ要素が強いため、比較の対象になるかどうかわからないが、六田登の『ダッシュ勝平』くらいか?)。 

 だが、「隙間を狙う」というのは、漫画制作に限らず、何事においても重要な“戦略”のひとつであり、いまさら書くまでもないことだろうが、結果的に井上が(編集者の反対を押し切って?)描きたいものを描いた同作は大ヒット、いまなお数多くの漫画ファンから愛される永遠の名作となった。

 そしてその“陰の功労者たち”が、私は「桜木軍団」なのではないかと常々考えているのだ。たぶん、アスリートではない彼らの“等身大”の存在があったからこそ、多くの読者は、(特に物語の序盤においては)すんなりとマニアックなバスケの世界に入っていくことができた。つまり、桜木花道という「素人」の成長を、(バスケをよく知らない)読者と「桜木軍団」は、同じ視点で追っていくことができ、そのことが多くの読み手の“共感”につながっていったのではないだろうか。

 ちなみに『SLAM DUNK』連載開始の少し前に、井上雄彦が発表した読切で、「赤が好き」という作品がある(1990年「少年ジャンプSummer Special」掲載)。

 ヤンキー漫画にラブコメの要素を加えたような内容の物語だが、こちらの作品にも、赤い髪の桜木花道はもちろん、後に「桜木軍団」と呼ばれることになる――水戸洋平、高宮望、大楠雄二、野間忠一郎の4人が同じビジュアルで登場している(「晴子」という名のヒロインも登場するが、『SLAM DUNK』の赤木晴子とはあまり似たタイプではない)。

 おそらく、この作品で、キャラを実際に動かしてみて得た確かな“手応え”が、『SLAM DUNK』の本格連載につながっていったのは間違いないだろうが、結果的に主人公だけでなく、「脇役」の不良少年たちもまた、(「赤が好き」とはまったく関係のない)バスケットボールに少なからず関わっていくことになった。

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