『鬼滅の刃』煉󠄁獄さんに痣は発現していたのか? 物語上の役割から考察

※本稿には『鬼滅の刃』(吾峠呼世晴)の内容について触れている箇所がございます。同作を未読の方はご注意ください。(筆者)

 『テレビアニメ「鬼滅の刃」無限列車編』第6話の放送後、一部のファンの間で、ある“噂”が飛び交っている。それは、炎柱・煉󠄁獄杏寿郎には伝説の“痣”が発現していたのではないか――という噂だ。

 ただし、これは以前からコアなファンの間では議論(?)されてきた問題でもあり、たしかに、原作の第8巻――宿敵・猗窩座に立ち向かう煉󠄁獄の右の頬を見てみると、それらしき形状の“何か”が描かれてはいる。

 だが、結局のところ、“それ”が痣なのか血の痕なのか、あるいは、猗窩座の返り血なのかは、不明である(十中八九、煉󠄁獄の血の痕のようだが……)。そこで、本稿では、改めて原作を振り返り、煉󠄁獄杏寿郎は果たして痣を発現させていたのか否かを、考えてみたい。

痣の発現は「人であること」を超えた証

 まず、その伝説の“痣”だが、これは、かつて鬼の首領・鬼舞辻󠄀無惨をあと一歩というところまで追いつめた、「始まりの呼吸の剣士たち」全員に発現していたもの――言わば、“最強の剣士”の証である。

 また、鬼殺隊の本拠地とも言うべき産屋敷家には、「痣の者が一人現れると 共鳴するように 周りの者たちにも痣が現れる」と書かれた手記が遺されており、大正時代の剣士たちでは、まず、主人公の竈門炭治郎が、遊郭での戦いの最中に痣を発現し、次に、霞柱・時透無一郎と恋柱・甘露寺蜜璃が、刀鍛冶の里での戦いにおいて発現する(他の柱たちの多くも、その後、発現する)。

 時透無一郎曰(いわ)く、痣の発現時は、「強すぎる怒りで感情の収拾がつかなくなり」、「その時の心拍数は二百を超え」、「さらに体は燃えるように熱く」、「体温の数字は三十九度以上になっていた」そうだ。甘露寺にしても、痣の発現時、無一郎のように怒りに我を忘れていたわけではないが、炭治郎たちを守るために感情が昂っていたはずだ。

 無一郎は続ける。「そこで死ぬか死なないかが 恐らく 痣が出る者と出ない者の分かれ道です」と。

 つまり、この「死ぬか死なないか」というのは、「人であることを超えられるか否か」と言い換えてもいいだろう。

 そう、誤解を恐れずに言わせてもらえば、この『鬼滅の刃』は、「血鬼術を使える鬼」と「呼吸法を使える鬼」との戦いを描いた物語だと言っても過言ではないのである(たとえば、第124話で憎珀天、第128話で産屋敷あまねが、件の痣のことを「鬼の紋様と似ている」と言っており、これはある意味では、「痣者」もまた鬼である、ということを暗に物語っている)。

 さらには、痣を発現させた者は、「力を向上」させられる代わりに、例外なく、25歳を迎える前に死ぬのだが(注)、これもまた、人であることを超えた代償のひとつと考えてよかろう。

(注)実は唯一の例外はいる。

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