ゾンビのいる世界が舞台の“ゾンBL”はなぜ支持される? 増殖中の人気作から考察

愛とエゴ ゾンBLが読者に投げかけるもの

 ゾンBLで描かれる愛は同時に、恋愛におけるエゴの押し付けの怖さと向き合う時間も作ってくれる。

 『スリーピングデッド』(朝田ねむい/プランタン出版)では『屍と花嫁』と同様、生存しているキャラクターが一度尽きてしまった命を無理やり蘇らせている。襲撃事件により死んでしまった高校教師の佐田が、彼と何らかの縁があると思われるマッドサイエンティスト・間宮の手によって蘇生させられるのだ。 

 これらの作品に共通するのは、一度尽きた命を「生存している側のエゴ」で蘇らせているという点。蘇生させられた側が望んでいたわけではない。むしろ蘇生させられたほうは、さまざまな制約や条件が発生するせいで不自由極まりない思いをすることとなる。

 たとえば『スリーピングデッド』には、ゾンビとなった佐田の食料に同類の死骸を用意しなければならないという設定がある。その確保のためにふたりは、殺人に手を染めざるをえなくなったのだ。また『屍と花嫁』で蘇ったリィも、理性を失って他人を襲ってしまわないように、キョンシー化の際に供給されたジンの血を飲み続けなければならない宿命を負っている。

「そこまでして生きたくない」
※『スリーピングデッド』CHAPTER.3 より引用

 自分を生かすためとはいえ、人を殺すという絶対に踏み込んではならないラインを越えようとする間宮に、佐田はこう言い放つ。

 現実にゾンビはいないため、蘇らせたあとのことなんて想像しようにもできない。しかし生死がかかわっていなくても、自分の「好き」「そばにいたい」というエゴが相手にとっての幸せでないことはままあると思う。

 その愛は、エゴではないか――。ゾンBLは、そんなハッとする問いを投げかけてくるようだ。




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