矢部太郎が明かす、マンガに活きるお笑いの土壌 ベストセラー『ぼくのお父さん』はなぜ生まれたのか

 舞台やドラマ、映画で俳優としても活躍しているお笑い芸人の矢部太郎。『大家さんと僕』では手塚治虫文化賞短編賞を受賞し、シリーズ累計120万部超を記録の今やベストセラー作家でもある。さらに自身4冊目となる単著『ぼくのお父さん』(新潮社刊)を先月発売し、好評を博している矢部に話を聞いた。

 本著は、絵本作家の「お父さん(やべみつのり)」と幼い「ぼく」の日々を、全編オールカラーによる温かなタッチで綴ったコミックエッセイ。近所の森へ出かけて採ったつくしを調理して食べたり、屋根の上から花火を眺めたり、友達とみんなで縄文土器を作ったり……。「ふつうじゃなくて、ふしぎでちょっと恥ずかしいお父さん」との思い出は、個人的な物語でありながら、読む人ひとりひとりの思い出も刺激する。

 本著についてはもちろん、「子どもじゃなくなったら、お父さんが求めているものから外れるんじゃないか」と思ってしまった思春期のこと、東京学芸大学へと進学するも、全国区番組初レギュラーとして体を張った人気バラエティ番組『進ぬ!電波少年』(日本テレビ)で拉致され、除籍になった当時のこと。そして「モテたい」と同期の芸人に相談した!?というエピソードなどについて話を聞いた。(望月ふみ)

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『ぼくのお父さん』のネームはお父さんが描いた絵日記!?

――作中にあるなしにかかわらず、お父さんとの思い出でまっさきに浮かぶのはどんなことですか?

矢部:何かの出来事というより、お父さんが絵を描いている日常です。動物園に行っても、買い物に行っても、何を思い出してもお父さんはいつも絵を描いていました。本にも出てきますが、お風呂屋さんが取り壊しになったときに、お父さんが絵を描いている隣で、煙突が崩されていくのを見ていたことはすごく覚えています。上から壊すんだなと思って、煙突がどんどん短くなっていって。そのことはすごく覚えていて、今回、漫画を描くうえで、お父さんが送ってくれた日記を見てまた思い出しました。

――3冊あるという、お父さんが幼少期の矢部さんのことを描いていた絵日記「たろうノート」ですね。

矢部:はい、これです。

――うわ、すごい! このまま何の手も加えず、作品として出せますね。デッサン程度の絵日記なのかと思っていましたが、1ページ1ページが完全にひとつの作品として完成してるんですね。

矢部:日々描いていたスケッチは別にあって、それをもとに日記という資料としてきっちり描いて残しているんです。誰に見せるわけじゃないんですけど。あ、でもひとり、詩人の鈴木志郎康さんに、お姉ちゃんが生まれるときに描いたものを見せたら、「続けた方がいいよ」と言ってくれたみたいです。それでお姉ちゃんのノートと、僕のノートと。

――すごく貴重なものですね。

矢部:そうですね。僕もみんなに見て欲しいという気持ちがどこかにあったのだと思います。僕が生まれる日のエピソードなんかは、「たろうノート」からそのまま描いてる感じです。ノートをネームに漫画を描いたみたいな(笑)。絵から伝わってくるものがあるので、ノートを見たときはすごく嬉しかったです。お父さんが絵日記を描きながら、子ども時代を生き直したと言っていましたが、僕も今回、そんな感覚がありました。ただ、お姉ちゃんのノートのほうが圧倒的にすごいんです。ノート自体大きいし、38冊もあって、作品としてもすごいです(苦笑)。

カルチャーギャップで笑いを取るスタンスは『電波少年』で培った

――『大家さんと僕』の大家さんも、お父さんも、少し浮世離れした感じがありますが、矢部さんが突っ込むのとは違って、驚きつつも一緒にいるスタンスが心地よく、読み進めると、大家さんのこともお父さんのことも、どんどん好きになっていきます。

矢部:読んでいる方にも好きになってほしいという気持ちは、大家さんのときにはすごくありました。お父さんについては、うーん。何か残したいな、描きたいなと思ったのは共通点ですね。ただお父さんのほうはいろんな気持ちがあって、ただ好きで終わっていない話も多いです(笑)。

――漫画を描くうえで、最初にお父さんがテーマだったら、描けましたか? やはり大家さんのことを描いたからこそ、客観的に子ども時代を見つめて描くことができたのでしょうか?

矢部:そうですね。大家さんの話を描いて、漫画でこういうものが描きたいんだ、こういうものが描けるんだといったことがいろいろ分かりましたし、大家さんのことを描いていなかったら、お父さんのことを描いても、別のものになっていたと思います。

――お笑いで培ったものも創作のうえで活きていますか?

矢部:活きていると思います。ネタを作ったり、振りと落ちを考えて、ボケてる人と訂正する人を置いたり。『大家さんと僕』も『ぼくのお父さん』もそうした構造になってますし。あとは『電波少年』とかのドキュメントバラエティでの経験も生きています。海外に行って知らない文化に触れて、カルチャーギャップから生まれる笑いがあったこととか。僕の体験したことが、編集されてああいうものになったわけですが、『電波少年』の場合は、カメラも自分でまわして、キャプションも自分で作ってたんです。コイサンマン語とか僕しか喋れないし。

――そうですね(苦笑)。

矢部:通訳の人もいないので、自分で撮影したVTRを見ながら、自分でキャプションを書いて。「ここは村の人の結婚の悩みを聞いてます」とか。そういった事実をキャプションとして書いていく目線は、今も活きているかもしれません。大家さんのときは特に意識して、知らないおばあさんと、世代の違う人との交流を、キャプションを取りながら進めていく感覚がありました。

――俯瞰で捉えながら、見る人、読む人のことを考えるというのはお笑いで鍛えられたところがあるのでしょうか。

矢部:ボケの人と突っ込みの人がいて、でもそこだけじゃなくて、お客さんもいて呼吸ができあがってくる。伝わらないとダメですし。そこは常に意識するので、そうかもしれませんね。

漫画はすべてを描き切らなくても伝わる。読む人を信頼してます

――逆に漫画を描いたことで、こういう伝え方もあるんだと発見したことは?

矢部:書かなくても伝わるんだと感じることは大きいです。僕は読む人を信頼していますし、すべてを描き切らなくても伝わる。たとえば「すごく嬉しかったです」なんて書かなくても伝わる。そこはお笑いとは別の方向性かもしれません。

――今回、どうやったら伝わるだろうと悩んだり、工夫した部分は?

矢部:うーん。結構すらすら描けたんですけど……。色を塗ったことかな。どういう風に塗ったら思い通りになるか、そこはちょっと悩みました。色がなくても想像してもらうほうが好きなんですけど、今回の場合は子どもの頃のことがテーマだから、カラーにしようかなと。お父さんの絵本みたいだし、子どもの頃って鮮やかなイメージがあるし。でも、もともと連載を描いたのは小説の雑誌だったので「カラーで連載とか、無理ですよねぇ」と軽く言ってみたんです。そしたら「あ、どうぞ」となっちゃって(笑)。

――世界観で参考にされたものはありますか?

矢部:谷内六郎さんの絵は、すごくノスタルジーを感じて好きで、最初はああいう感じにしたいなと思ってるときもありました。実際には違うものになりましたけど。

――『ぼくのお父さん』は、淡いパステルカラーの水彩画のようなタッチですね。

矢部:まさに水彩、筆、みたいなツールで描いてます(笑)。僕、iPadで描いて塗ってるんですけど僕が使ってるソフトの色付けのツールで、一番上にある機能なんです。それでやってみたら、いい感じだったので、これでいいかなって。

――いいなと思ったら、ほかをいろいろ試したりとか、迷わないんですね。温かみがあってぴったりですが。

矢部:そう、ぴったりだったんです。だからもうこれでいいなと。これ以上は必要ないかなと思いました。あとは、漫画家のはるな檸檬さんから、あまり色数を使わない方がいいと聞いたので、そこは気を付けました。

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