『三体』劉 慈欣×大森 望 対談 「空間や時間がどれだけ拡大しても、わたしたちはちっぽけな存在」

 圧倒的なスケール感でSFファンたちに衝撃を与えた中国SF小説『三体』シリーズの完結篇となる『三体Ⅲ 死神永生』の邦訳版が、各所で話題を呼んでいる。壮大な物語の結末はどのように構想されたのか。また、『三体』シリーズは日中のSFファンにどう受容されてきたのか。『リアルサウンド ブック』では、去る5月14日にオンラインにて行われた、著者の劉 慈欣氏と翻訳者の大森 望氏による対談を掲載する。(編集部)

『三体』、その衝撃について

劉 慈欣氏
劉 慈欣『三体』(早川書房)

大森:第一作である『三体』邦訳の発売から二年半かかりましたが、いよいよ『三体』の完結篇である『三体Ⅲ 死神永生』の邦訳版が店頭に並びます。

劉:本当にありがとうございます。

大森:『三体』は日本でも人気が爆発していて、第一部は日本のSFファンが投票で選ぶ星雲賞を受賞しましたし、『SFが読みたい!』の「ベストSF2019」でも一位になりました。第二部の『三体Ⅱ 黒暗森林』もネット上で熱狂的な讃辞が多く寄せられて、第一部以上の盛り上がりでした。

劉:ありがとうございます。翻訳が素晴らしかったからですね。

大森:『黒暗森林』は、後半の展開が日本の読者にものすごく評判がよくて、とりわけラストが素晴らしいと絶賛されています。

劉:後半のSF要素が強くなってくるところが人気なのではないかと思います。

大森:そうですね。〈水滴〉が活躍する決戦シーンや、羅輯と三体文明とが勝負する場面は、ふだんSFを読まない人からも熱烈に支持されている印象です。

劉:ありがとうございます。

『三体Ⅱ 黒暗森林(上)(下)』(早川書房)

大森:『三体』はものすごくスケールの大きなSFであり、とくに『黒暗森林』の後半では現代の日常とかけ離れた未来の話になりますが、日本語版がSFファン以外の読者層にも幅広く受け入れられたのはどうしてだと思いますか。

劉:いろんな要素がからみあってのことだとは思います。私が出した過去作品の影響や、他の地域での反応を見てのことかもしれませんし、いま未曽有の災難に多くの人がさらされていることと、もしかしたら照らし合わせて考えた人がいるのかなという気もします。ですが、はっきりいってわからないですね。ただ、日本にはかなり成熟したSF文化の土壌がもともとあって、日本の読者のみなさんも、SF小説に熟知していると思っています。なので、SFファン向けに書いたはずのものにたくさんの日本の読者が反応してくれるというのは、さほど驚きませんでした。台湾や韓国では、とくにこの第三部の『死神永生』はそんなに売れなかったんですよ。

大森:劉さんは以前あるエッセイで、『死神永生』に関しては内容的にSFファン向けにならざるをえないから、あまり売れないだろうと思っていた、とお書きになっていましたね。ところが実際は広い読者から支持されて、三部作がブレイクする原動力になり、すごく驚かれた、と。

劉:確かにそうでした。

大森:中国での反応というのは、三冊目で変わったのでしょうか。

劉:そうですね、個人的な考えではありますけど、おそらく第三部で、読者にSFとしての魅力が伝わったのではないかと思います。これまで中国の読者は古いタイプのSFしか知らなかったけれど、第三部が出たことでこれもSFなのだということが周知され、人気が出たのではないかと思います。

 いま、世界で発売されているSF小説はけっこう内に向かうような作品が多い気がしています。私は、SF小説は広く大きなものを書くべきだと思っていまして、それが『三体』三部作の創作の原則ともなっています。それが結果、読者層を広げたのではないかと思います。

大森:確かに、SF小説の歴史をふりかえると、すごく大きなスケールで人類の未来や宇宙の未来を描くSFというのは、世界的に見ても、1980年代以降、あまり流行らなくなっていました。小松左京やアーサー・C・クラークがかつて書いていたような、そういうスケールの大きな、昔風のSFのおもしろさが、『三体』によって再発見されたのではないかと思うんです。

劉:個人的には、SF小説は、人の視界を広げる手助けができるものではないかと思います。自分だけじゃなくて、宇宙全体を見るようなそういう目をはぐくむことができるのではないか。昨今の欧米のSFはそういった方向性が少し減ったように思います。

大森:そうですね、日本のSFについても、同じようなことがいえると思います。そこに『三体』が大きな衝撃を与えて、SFのありかたそのものが問い直されている気がしました。個人的にもおおいに反省したところです。

劉:日本のSF小説は、大きなところを見る部分が残されていると思います。『三体』は日本のSF、具体的には小松左京先生の『日本沈没』の影響を受けています。日本のSFからインスピレーションを得たものは多いです。

 日本人にとっては、島国ということもあり、沈没というのは大きな恐怖だったのではないかと思うんです。中国人としては、沈没といわれてもピンとこないんですね。では、中国人にとってなにが一番恐怖に感じるのかというと、未知のものが侵入してくるということではないかと思ったんです。それで『三体』を書こうと思いました。私が書くようなSF小説は、中国のSFの主流ではなくて、むしろちょっと特殊分野に入る感じです。『三体』のようなSFを中国で探そうとすると大変ですね。

大森:日本のSFにとっても、『三体』は、いま主流になっているのとは全然タイプの違う作品だったので、それが衝撃的だったと同時に、新しいスタンダードになるのではないかと思っています。しかし、いまのお話だと、中国でも、劉さんのあとに続く人はなかなかいないということでしょうか。

劉:時代が進むにつれて中国SF小説界も変化しています。流れを止められないような状況になっていて、まさに今中国のSF業界はアメリカSFの黄金時代のような状況ではないかと思います。自分はだんだん小さくなっていく土地を最後まで死守する人間のような気持ちです。

大森:ただ、その小さくなっていく領域が、読者にはものすごくアピールするということですよね。日本では、1980年に、ジェイムズ・P・ホーガンの『星を継ぐもの』という長篇が邦訳されて、SF読者以外にも熱狂的に支持され、いまも読まれ続けています。『三体』を読んで、この『星を継ぐもの』を思い出したという読者が非常に多かったんですが、劉さんは『星を継ぐもの』はご存じですか。

劉:はい。英語版が探せなくて、ネットで一部を見ただけだったんですが、わたしが好きなタイプのSFだと思います。ちょうど今月、中国語版が発売されたばかりです。

大森:日本のSFでも、ジャンルの草創期、1960年代から70年代にかけての黄金時代に書かれていた名作が折に触れてリバイバルしています。小松左京さんの作品で言えば、震災があれば『日本沈没』が脚光を浴び、パンデミックがあれば『復活の日』がベストセラーになるという具合です。ところが日本では、そういう作品がなかなか新しく生まれないという問題があります。これは、英米のSFに関してもそうかもしれません。ところが『三体』は、現代の作品であるにもかかわらず、小松左京やクラークの古典的名作に匹敵する人気と知名度を獲得していますし、これから先も長く読まれつづけるでしょう。その要因はどんなところにあるのでしょうか。

劉:いま、中国ではSF文学がたくさん出てきていますが、それは時代背景のせいもあると思っています。いまの時代によって一連の作品が押し出されている感じですね。なかには一部、現実的な問題を描いたものもあります。わたしはSF作品を書いているので、あまり現実的ではない、もっと長期的に物事を見つめたものを書きたいと思います。大きな災難が発生するさいに、そういった作品を読んでいると、まったく読んでいない場合と比べて、受ける衝撃は小さくて済むのではないかと思います。少なくともそれを読んだことがある人たちは心の準備ができていたのではないか、あるいはこういった災難が起こりうるということを意識していた、知っていたということになりますから。そういう点では、わたしの作品は一定の役割を果たしているのではないかと思います。

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