『進撃の巨人』最終巻で描かれた「最大の謎」 ミカサの夢が意味するものとは?

 ※本稿には、『進撃の巨人』(諫山創)の内容について触れている箇所がございます。原作を未読の方はご注意ください(筆者)

 「別冊少年マガジン」2009年10月号から連載が始まり、コミックスの累計発行部数は1億部を突破するなど、まさに怪物的な大ヒット作となった諫山創の『進撃の巨人』。6月9日には最終巻となる34巻が発売され、翌週の週間ベストセラーランキング(6月15日トーハン調べ)では、ほぼ同時期に出た「ジャンプ」系の強力な作品群を抑えての堂々の第1位、あらためてその人気の高さを世に知らしめる結果となった。

 さて、本稿ではそんな『進撃の巨人』の最終巻で描かれている、ある「謎」について考察してみたいと思う。だが、あくまでも以下に書くのは一(いち)読者である私の考えであり、作者の頭の中にある「真実」ではない、ということだけはご了承いただきたい。また、あらためていうまでもないことだが、当然、原作の内容についてのネタバレも少なからず含まれているので、これから同作を読もうと思っているような方は、物語を最後までお読みいただいたうえで、本稿をお読みいただけたら幸いである。

『進撃の巨人』1巻(講談社)

 いずれにせよ、『進撃の巨人』という作品は、もともと1巻の段階からさまざな解釈ができるように作られており、そういう意味では、それぞれの読者がそれぞれの読み方をすればいいだけ、ともいえるのだが、なかには、「この場面にはどういう意味があるのだろう」という疑問を抱いて日々悶々としている方もおられるかもしれないので、そういう方たちに向けて、(あくまでも私なりの)「ひとつの答え」を提示したいと考えた次第である。

最終局面のさなか、ミカサが幻視した山小屋の場面の意味は?

※再度注意。以下ネタバレあり

 前置きがやや長くなってしまったが……私が本稿で述べたいある「謎」とは、第138話でミカサが幻視する“夢”についてである。

 最終話の1話前でもあるその大きな山場(クライマックス)の回で、調査兵団とマーレ戦士たちの混合チームは、世界を滅ぼそうとする巨人たちの「地鳴らし」をなんとか止めることに成功する。だが、爆死したと思われた「進撃の巨人」(エレン)が突如復活、覚悟を決めた「超大型巨人」(アルミン)がそれに立ち向かうのだが――その様子を空から見ていたミカサは、いつもの頭痛とともに、「ある場面」を幻視するのだ。

 それは、どこかの山小屋とおぼしき場所で、エレンと二人だけで生活している、「彼女にありえたかもしれない未来」のビジョンだった。そこで二人は、世界の危機には背を向けて(嫌な書き方をすれば、アルミンたちを見捨てて)、エレンに残されている余生(最長で4年間)を静かに過ごそうとしている。

 エレンはミカサにいう。(自分が死んだら)「オレのことは忘れて 自由になってくれ…」。そしてやがて彼は息絶え、ミカサは「いってらっしゃい エレン」というのだが――この夢の描写は、いったい何を意味しているのだろうか。

 たとえば、考えられるのは、エレンがミカサに見せた仮想的なビジョンであるということだが、これは、本心では自分を殺してほしいと願っている彼が彼女に見せる夢の内容としては、あまり適したものだとは思えない。となれば、ミカサが自ら見た“夢”というほうが自然だとは思うのだが、さらにいうならば、彼女の“過去の記憶”が断片的に甦った、と考えたほうが実は収まりがいい。

 そう――ここから先はいささかトリッキーな解釈になるかもしれないが、これまでミカサが何度も同じ人生(のうちのある期間)をループしていたとしたら、この夢の場面は、単なるイメージカットではなく、かなり重要な意味を帯びてくる。

 具体的にいえば、まず、山小屋で死んだエレンに、「いってらっしゃい エレン」とミカサが声をかけるまでの時間の流れがあり、次の瞬間には、再び第1話の冒頭部分――すなわち、誰かの「いってらっしゃい エレン」という声で、子供時代のエレンが目を覚ますところに彼女が戻っている……というのが、ループの基本パターンだ。

 この一定期間を、これまで何度か(回数まではわからないが)ミカサは繰り返していたのだと考えるのが、(少なくとも私には)『進撃の巨人』という物語を、とりわけ、第138話に出てくる謎めいた夢の場面を解釈するうえで、一番都合がいいように思える(ただし、「マフラーを巻く」という行為がどことなく「ループ現象」をイメージさせる点や、ミカサの「頭痛」と「記憶の再現」を関連づけるなら、第6話の彼女の一家が強盗に襲われた日まで戻るべきであり、実際、そこでは「この光景は今までに… 何度も…何度も見てきた…」という意味深なモノローグさえ挿入されているのだが、「いってらっしゃい」の言葉で過去と未来をつないだほうが「繰り返し」の構造としてはわかりやすいし、ミカサが山小屋での生活を幻視する場面でも、第1話の子供時代のエレンが居眠りしているカットが挿入されている)。

 では、なぜ、今回のループではいつもと同じような展開(=山小屋ルート)にならなかったのかといえば、「あること」がきっかけで歯車が大きく狂っていったからではあるまいか。

 それは、第123話で描かれている、エレンがミカサに「オレは… お前の何だ?」と問いかける場面を見てみればよくわかる。ミカサはそこで、戸惑いながらも小さな声で「家族…」と答えるのだが、これまでのループしていた世界では、おそらく彼女はそうは答えずに、「あと4年の余生を静かに生きよう 誰もいないところで 二人だけで…」(第138話)といって、山小屋へとそのまま二人で逃げていたのだろう。

 とはいえ、仮にそんな誰かによって決められたループの仕掛けがあったとして、なぜ今回だけ、ミカサが「家族」と答えたのかまではわからない。もしかしたら、ループといっても毎回きっちり同じことが繰り返されているわけではなく、水面下では小さな変化があちこちで起きている、ということなのかもしれない。

 たとえば、何度もエレンに寄り添った人生を繰り返しているうちに、ますます彼のことを愛するようになっていたミカサが、いつもなら「二人だけで生きていこう」と本心をはっきりと主張できていたのに、今回に限っては、(好きであるがゆえに)照れてしまって「家族」としか答えられなかった可能性はある。実際、「地鳴らし」を行うために悪魔のような姿に変化(巨人化)したエレンを見て、ミカサ自身もこういっている。「あの時 もし私が 別の答えを選んでいたら 結果は違っていたんじゃないかって…」(第123話)。

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