『生きるとか死ぬとか父親とか』ジェーン・スーの言葉はなぜ心に染みるのか? “独身のカリスマ”の生き様

 実際、どんなに確執があっても血の繋がった老年期の親と縁を切るというのは難しいことなのかもしれない。ジェーン・スーは加えてエッセイの執筆をきっかけに父親のことを知ろうと努めているが、それは存命なうちに母親の「母」の顔以外を知ることができなかったという後悔があったからのようだ。

 ただ、このエッセイの前半部分は意外にもジェーン・スーの父親に対する視線が優しい。老いを感じさせない食べっぷりや、色んな女性から褒められる父親のちやほやされ具合をエピソードで表すジェーン・スーの語り口調は父親と娘の間に複雑な過去があったとは思わせない。その点については本人もエッセイの中で「ありのままを書くつもりでいたのに、いつの間にか私はさみしさの漂ういいお話を紡いでいたような気がする。(中略)父のために父を美化したかったのではない。私自身が『父がどんなであろうと、すべてこれで良かった』と自らの人生を肯定したいからだ」と述べている。そこから少しずつ、父親の「父」ではない顔に傷ついた過去や、価値観の違いでぶつかり、絶縁寸前までいった父親との関係性について深掘りしていくのだ。その過程を通じて、ジェーン・スーは母親が亡くなってからの父親に対する歪な執着を手放していく。

「禍福はあざなえる縄の如しというが、親子は愛と憎をあざなった縄のようだ。愛も憎も、量が多いほどに縄は太くなり、やがて綱の強度を持つようになるのだろう」

 そんな言葉で締められたエッセイを読み、ジェーン・スーが日頃悩める大人たちに出す回答と通ずるものがあるように感じた。多くの人が彼女の回答に心を救われるのは、決してスッキリするような解を出してもらえるからではない。“血の繋がり”というものが厄介なように、それぞれが抱える悩みは簡単に答えを出せるほど、手放せるほど単純なものではないのだ。それでも何とか折り合いをつけて、「よし」と明日を生きるための言葉をくれる。幸福と不幸を繰り返しながら、誰かを愛し憎みながら。

■苫とり子
フリーライター/1995年、岡山県出身。中学・高校と芸能事務所で演劇・歌のレッスンを受けていた。現在はエンタメ全般のコラムやイベントのレポートやインタビュー記事を執筆している。

■書籍情報
『生きるとか死ぬとか父親とか』(新潮文庫)
著者:ジェーン・スー
出版社:新潮社

■放送情報

ドラマ24『生きるとか死ぬとか父親とか』
テレビ東京系にて、4月9日(金)スタート 毎週金曜深夜0:12〜放送
※テレビ大阪のみ、翌週月曜深夜0:00〜放送(1話・2話は深夜0:05〜放送)
原作:ジェーン・スー『生きるとか死ぬとか父親とか』(新潮社刊)
主演:吉田羊、國村隼、松岡茉優、富田靖子、DJ松永(Creepy Nuts)、オカモト“MOBY”タクヤ(SCOOBIE DO)、森本晋太郎(トンツカタン)、ヒコロヒー
オープニングテーマ:高橋優「ever since」(unBORDE / Warner Music Japan)
監督:山戸結希、菊地健雄
シリーズ構成:山戸結希
脚本:井土紀州
チーフプロデューサー:阿部真士(テレビ東京)
プロデューサー:佐久間宣行(テレビ東京)、祖父江里奈(テレビ東京)、半田健(オフィスアッシュ)、平林勉(AOI Pro.)
制作:テレビ東京、オフィスアッシュ
製作著作:生きるとか死ぬとか父親とか」製作委員会
(c)「生きるとか死ぬとか父親とか」製作委員会
公式サイト:https://www.tv-tokyo.co.jp/ikirutoka/
公式Twitter:@tx_ikirutoka

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