音楽プロデューサー・松尾潔が語る、エンターテインメントの価値 「売れるために何かを捨てることはしていない」

「あなたが“聴いている音楽”を言ってみたまえ」

——この10年間におけるショービズの変化は凄まじいですからね……。

松尾:本当ですよね。さらに遡って90年代の話をさせてもらうと、僕はアメリカに行くたびにタワーレコードやブロックバスターに通って、日本未公開のブラックムービーのレーザーディスクを買ってたんです。「White Men Can’t Jump」や「Jason’s Lyric」の時代です。それを家に遊びに来た友達ーーそのなかにはライムスターのメンバーもいたでしょうねーーと一緒に観たりね。そういう形でしか情報に接触できなかったんだけど、今はまったく違うじゃないですか。全世界同時にネットで公開されたばかりの新作映画を、学生さんが通学途中の暇つぶしで観ることができる。映画や音楽もそうだけど、カルチャーを神棚に飾っておくような時代ではなくなったというのかな。……ということで、この小説の冒頭には“神棚”が出てくるんですよ。

——沖縄で仕事を終えた悟が、バーに立ち寄る。店には神棚のように置かれている戸棚があって、そのなかに小さなボトルが飾られている、という場面ですね。

松尾:はい。悟は「貴重な泡盛なのかな」と思うんだけど、じつはバーの“ママ”が性転換手術を受けたときに取り出した睾丸のアルコール漬けだったという(笑)。自分たちも、音楽や映画を根拠もなくありがたがってた気がするんですよ。逆に言うと、そういうものでさえエンターテインメントの具にできるのは、素晴らしいことだとも思うんです。

——誰かにとっては意味のないものでも、他の誰かにとってはとてつもなく大きな存在になるというか。

松尾:そうですよね。「エンターテインメントなんて、何でもないものを勝手に“すげえ”って言ってるだけじゃないか」という冷めた物言いはいつの時代でも可能だと思うんです。でも、そこにしっかりとリアリティを織り込むことで、人をエンターテインできるんですよ。その気持ちがないと、こういう仕事をする資格はないのかなと。

——エンターテインメントの価値を問われている時期だからこそ、大事な指摘だと思います。

松尾:『永遠の仮眠』を書き始めたのは2015年で、何度も中断しながら、結果的に2021年に発売することになって。奇しくもコロナの状況にぶつかったわけですよ。エンターテインメントが開店休業状態になり、不要不急という言葉を使われることもありますが、「ある人にとってはエッセンシャルなものであってほしい」という気持ちもあって。日々の営みを続けるなかで、本当に必要なものは一人一人違うという、至極当然のことに思い至りましたね。僕自身、若いときはゴハンを抜いてレコードを買うことがありました。少なくともあの時点では、お米やパンよりもレコードのほうが自分を動かすガソリンになり得た。ノスタルジーもありますが、あの情熱はウソではなかったと思うんです。僕の場合は音楽でしたが、ある人にとってはスポーツなのかもしれないし、他のご趣味なのかもしれない。今は不要不急で片づけられがちですが、その人にとっては生き方や価値観を決めるものなんですよ、それは。

 「あなたが今日食べたものを言ってみたまえ。あなたがどんな人か当ててみせよう」という言葉がありますけど、現在では、食べ物のよりも“あなたが聴いている音楽”のほうが、その人のことを言い当てられるでしょう? それを不要不急なんて言われては……これ以上はやめておきましょう(笑)。

音楽も小説に「時間」の概念がおもしろさに繋がる

——エンターテインメントとは何か? というテーマを含む『永遠の仮眠』が2021年に出版されたのは必然だったのかも。もちろん、松尾さんの引きの強さもありますが。

松尾:それはよく言われます(笑)。小説の最後で、悟が「東京オリンピックでもお仕事をやってほしい」と言われる場面があって。去年の今頃、(執筆が遅れたことで)「本が出る頃にはオリンピック終わってますよ」なんて言ってたんですけど、結果はご存知の通り。つまり、このセリフはまだ生きてるんです。

——神がかってますね……。さらに震災から10年というタイミングとも重なっていて。小説のストーリーでも、震災によって登場人物たちの運命が大きく変わっていきます。

松尾:悟は「カムバック 飛翔倶楽部ゼロ」というドラマの主題歌をプロデュースするのですが、ドラマのことを正確に読み解くことができなかった。震災をきっかけにしてそのことに気付くのですが、「震災が悟の目を開いてくれた」という言い方も出来ると思うんですよね。僕らはコロナ禍という未曽有の事態に直面していますが、そこからも何かを学ぶことができるはずだし、学ばなくちゃいけない。それがこの小説のテーマである“取り戻す”ということなんです。

——“人は常に何かを取り戻し続けねばならない。未来こそが過去を変える”ですね。

松尾:はい。それは昔あったものを取り戻すということではなく、“そこにあって然るべきだったのに、実際にはなかったもの、起こらなかったこと”を取り戻す、つまり、過去を作り直すということなんです。自覚的に未来に向かうことで、過去を意味あるものにする。それは国単位でもやらないといけないし、もちろん個人個人でもやるべきだと思っていて。そうすれば、この世も少しは良くなるんじゃないかなと。

——未来によって、過去は変えられると。

松尾:そうです。小説に先がけて発表した『松尾潔のメロウな日々』『松尾潔のメロウな季節』という音楽エッセイ集があって。この2冊を書いたことで小説が遅れたんですが(笑)、その時のあとがきで「過去は変えられなくても未来はつくることができる」と書いてるんですよ。でも、その先があったんだな、と。「過去を変える」というとネガティブな響きを感じるかもしれないですが、そうではなく、自分自身の軌跡をただの回り道にせず、意味のある歩みにするということなんですよね。

——時間の概念にも関わってくる話ですね、それは。

松尾:そうかもしれない。音楽はわかりやすい時間芸術ですが、小説においても、時間という概念をどれだけ自覚的に織り込めるかが、作品のおもしろさやクリエイティビティに影響するので。そのことに書いている途中で気付いて、最初から書き直したんですよ。そもそも『永遠の仮眠』というタイトルも、時間がねじれてますからね。僕はどうも、こういう言葉の組み合わせに惹かれるようですね。プロデュースした平井堅さんの「THE CHANGING SAME」「gaining through losing」というアルバムタイトルもそうですが、相対する概念をまとめて、どちらでもなくて、どちらでもあるという状態に興味があるんだろうなと。“仮眠”という言葉もね、子どもの頃から引っかかってたんですよ。「仮の眠りということは、眠りとは言えないないのでは?」「眠るって半分死んでるようなものだよな。とういうことは、仮眠はどういう状態なのか?」とか(笑)。

——確かに不思議な言葉ですね、仮眠って。

松尾:いま思うのは、睡眠というのは、一様に仮眠なのではないかと。それを繰り返すことが人の営みであり、もちろん永遠ではなくて、いつかお迎えが来るわけでーーまあ、そんなことを考えながら「永遠の仮眠」というタイトルに決めて。その後、岩ちゃんが表紙に登場してくれることになって、新潮社のなかでロケハンしたんです。実際に撮った場所は倉庫なんですが、撮影の前日に“仮眠室”を見つけて。これはおもしろいなと思ってたんですが、今初めて人に話しました(笑)。

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