『よつばと!』が時代を超えて愛され続ける理由 “今を全力で生きる”よつばの18年間

 『よつばと!』に描かれる世界が、まったく変わっていない訳ではない。ガラケーを使っていたはずの登場人物たちが、第14巻あたりからスマートフォンを使うようになっている。東日本大震災がきっかけになって生まれたLINEが、震災前に描かれていた第10巻あたりから数カ月しか経っていない物語の世界で活用されている。不思議と言えば不思議な現象。もしも『サザエさん』で、財布を忘れてもスマホで支払うサザエが登場したら、国民的な議論を呼ぶだろう。

 それが、『よつばと!』ではまったく気にならない。風香の勉強部屋でしまうーがスマホをいじっていても、とーちゃんの仕事机の上にiMacらしきモニターが置かれていても、整合性がとれてないとか、時代考証がめちゃくちゃだとかいった異論は起こらないし、起こす気にもならない。なぜなら『よつばと!』は、まさに今という瞬間を、全力で生きているよつばの姿をじっくりと眺め、しっかりと噛みしめる作品だからだ。

2003年に1巻が発売された『よつばと!』

 18年前に送り出された『よつばと!』であっても、よつばは18年前の時間だけに生きているのではない。第1巻のころなら、18年前のその瞬間を元気に走り回って、読んでいる人たちを和ませた。10年前に出た第11巻では、スマホではなく子供向けのデジカメでいろいろ撮って回る姿が、危なっかしさと愛らしさを感じさせた。使っているツールが古かろうと新しかろうと、よつばがしでかす何もかもが楽しいし、そんなよつばと絡むとーちゃんや風花、やんだたちのリアクションも面白い。

 18年という連載期間の中で、背景はモーフィングするように変化をしても、その上でよつばは、エピソードが描かれた時点の1日を全力で過ごしているだけ。読む人もそんなよつばと接することができるから、ノスタルジーの感情に流され、感涙に浸るようなことにはならない。

 これだけ大ヒットしながら『よつばと!』が、アニメ化も実写化もされないのは、映像の中で固有の時間に世界が取り込まれてしまって、よつばにとっての今という感覚とズレていってしまうからなのもしれない。誰が演じてもベストな配役を得られないということもあるのかもしれない。読む人の今とシンクロしている物語だけに、作り手のリズムで描かれる映像化された世界を、なかなか受け入れづらい気がする。

 変わらないとはいいつつ、よつばの今も少しずつ進んでいる。第15巻に収録の第104話「よつばとランドセル」というエピソードで、よつばに小学校進学という、子供にとっても親にとっても、とてつもなく大きなイベントが控えていることが示された。永遠の子供という状況から外れた先にあるのは、物語の中でよつばを見守ってきたとーちゃんや三姉妹やジャンボ、やんだといった登場人物たちの感慨であり、外から眺めて来た読者の感涙なのだろうか。

 想像はいろいろと浮かぶが、今のゆっくりとしたペースでは、そこにたどり着くにはまだしばらく年月がかかりそう。それまでの間、十年一日のごとく変わらない日常を、全力で走り回るよつばの元気をもらいながら過ごして行けたら、3年でも5年でも10年であっても、こんなに充実した時間はないだろう。

■タニグチリウイチ
愛知県生まれ、書評家・ライター。ライトノベルを中心に『SFマガジン』『ミステリマガジン』で書評を執筆、本の雑誌社『おすすめ文庫王国』でもライトノベルのベスト10を紹介。文庫解説では越谷オサム『いとみち』3部作をすべて担当。小学館の『漫画家本』シリーズに細野不二彦、一ノ関圭、小山ゆうらの作品評を執筆。2019年3月まで勤務していた新聞社ではアニメやゲームの記事を良く手がけ、退職後もアニメや映画の監督インタビュー、エンタメ系イベントのリポートなどを各所に執筆。

■書籍情報
『よつばと!』1〜15巻(電撃コミックス)
著者:あずまきよひこ
出版社:KADOKAWA/アスキー・メディアワークス

関連記事