『チ。』作者・魚豊が語る、“主観的な熱中”の尊さと危うさ 「気持ちに逆らえない人たちの姿を描きたい」

『チ。』に出てくるそれぞれのキャラクターの生き方

『チ。』のネーム原稿

――ここから先は、『チ。』についてお聞きしたいと思いますが、この作品にコロナ禍は影響していますか。

魚豊:『チ。』は中世ヨーロッパをイメージしてる話ですけど、描いている僕が「いま」を生きている以上、影響はあるかもしれません。具体的な致死率などは置いておいて、観念的な意味で新型コロナウイルスの流行で「死」というものが、身近になった瞬間はあったと思います。一見それはただ単にネガティヴなことのように思えてしまいますが、個人のレベルで考えると、そうでもない要素もあると思います。死について考えると逆説的に人生の意味についても考えるし、多分それは無駄ではない。確かに死ぬことは怖いけど、ではなぜ私は生まれたのだろう、とか、いつ来るかわからない死を前に、いかにして自分に嘘をつかずに自分らしく生きられるのか、とか、それらの推論は死という事実を受け入れることによって始まる気がして。そういった感覚は『チ。』のひとつのテーマであると思いますし、それはコロナの登場によってより濃くなってるのかもしれません。繰り返し作中で描いている、死ぬ時の顔、というのはそういう諸々を表現してるつもりです。

――それでは、主要キャラについてお話しください。まずは第1集の主人公・ラファウについて。彼は合理的で、少々チャラい面もありますが、もう少しストイックな感じで天文と向き合う、真面目なキャラにするという選択肢はありませんでしたか。

魚豊:真面目な主人公が天動説と地動説の間で苦悩するよりも、彼みたいなどこか世渡り上手で合理的な少年のほうが、身近だし、多くの読者が感情移入してくれるんじゃないかと考えたんです。たしかに、部分的に見れば嫌なやつなんですけど、僕としては、真面目なだけの人間よりもラファウみたいなキャラのほうが好きです(笑)。

――モデルはいますか?

魚豊:特定のモデルはいませんが、僕の考える「器用な人」というのがラファウのようなキャラなんです。合理的にスキルを磨いてひたすら「上」を目指すという、それは良い面もあり悪い面もあるわけですけど、そんな彼が、あるとき宇宙の真理を知ってしまい、それまでの合理性や恵まれた未来に背を向けて、自分が本当にやりたいことに向き合おうとする。そのギャップに面白みがあればなと思いました。

――一方、派遣異端審問官のノヴァクもなかなか濃いキャラですよね。冷酷な悪役ではありますけど、ある意味では、本作で描かれているのは彼の目から見た世界の姿だともいえますし、作品全編を通して最も印象に残るキャラかもしれません。

魚豊:そういっていただけるとうれしいです。彼が本作の最重要キャラのひとりだと思いながら描いています。人物造形にあたってヒントにしたのはナチスのアドルフ・アイヒマンです。アウシュヴィッツ強制収容所へ無数のユダヤ人を送った人物で、彼についてはいろいろ見解があると思いますが、よくいわれるのは、彼はモンスターでもサイコパスでもなく、「仕事」としてそれを淡々とこなしていた。どうせ自分には決定権がないので、歯車の一部として上司にいわれるがままに粛々と仕事をしていただけ、というものです。要するにノヴァクもそういう人間なんだと思います。別にファナティックなわけじゃなく、ただ毎日、生活の一部である仕事として、異端者を拷問し、処刑している。理由は上から命令されたから。ただそれだけ。だからこそ、生活として家族や友人を大事にするという一面もある。ある意味で最も普通な価値観のキャラクターだと思います。人間はちょっと疑うのをやめれば、すぐに仕事として平然と残酷なことをやれるのかもしれない。そういう怖さを出せればいいなと思っています。

――ネタバレになるので詳しくはいいませんが、第2集では、主人公がラファウからオクジーという青年に変わりますね。この思い切ったストーリー展開も衝撃的でした。

魚豊:ひとりのキャラクターの主観による物語を描くよりも、むしろ、大きな時代の流れの中にいる人々の姿を描きたいと思っていました。ですので主人公が変わることについてはさほど抵抗はありませんでしたね。

――オクジーの「代闘士」(依頼者の代役として「決闘」を行う仕事)という職業も興味深いですね。

魚豊:仕事で人を殺すという、そういう意味では、オクジーはノヴァクと表裏一体のキャラだともいえます。ただ彼は、ノヴァクと違って、いろいろと「死」や「生」について悩みます。そこに、主人公としての成長の余地があるんだと思います。肩書きを代闘士にしたのは、単純に取材の過程でその職業自体をおもしろいと思ったというのもありますが、学者肌のラファウとはまた違うタイプのキャラを出したかったのもあります。空を見るのが怖い、というのも、星を美しいと思っているラファウとは正反対のキャラですし。

――修道士のバデーニはどうですか? もちろん、オクジーに対するメンター(導き手)のような役割もあるかと思いますが。

魚豊:そうですね。やはり天文の知識のある人間がいないと、オクジーだけでは物語が展開しませんしね。バデーニのあの傲慢な感じは個人的に気に入ってます(笑)。あと、「世渡りが下手な、大人になったラファウ」みたいなイメージも少なからずあります。ただ、バデーニは、ラファウと違って、純粋な好奇心もあるにはあるんですけど、それと同時に俗っぽい名声欲みたいなものも強い人物だと思っています。世界の真理を知るのも大事だけど、それ以前に「特別な人間」になりたい人、といいますか。

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