漫画家・岡崎京子、文筆家としての個性とは? 後追い世代が感じた、80~90年代の匂い

 岡崎京子は言葉の作家だと思う。彼女の軽やかな文体でありながら重厚な魅力をもつ言葉達は私たちの心を抉り、新しい輪郭を与えてくれる。

 岡崎には文筆家としての一面もある。ファッション誌から批評誌まで幅広い媒体に寄稿し、活動休止直前まで制作された文芸作品『ぼくたちは何だかすべて忘れてしまうね』も2004年に単行本として出版された。

 中でも彼女のエッセイは、漫画作品にも通じる視点や思想を瑞々しく垣間見ることができ、興味深い。今回はその中から『オカザキ・ジャーナル』、『レアリティーズ』の2冊を紹介したい。

オカザキ・ジャーナル

 『オカザキ・ジャーナル』は、今はなき週刊誌「朝日ジャーナル」で1991〜1992年の間連載されていたコラムをまとめたものだ。内容は岡崎の日常からテレビ番組、社会問題まで多岐にわたったもので、2015年に待望の単行本化となった。

 各話の典型的な構成は、個人的な関心から、その対象に対する考察へ向かい、再び個人的な関心に着地して帰結する。

 時に、岡崎の文章はお世辞にも読みやすいとは言えない。だが、1000文字ほどのコラムである『オカザキ・ジャーナル』では、そのとりとめのなさ、またその中で光る鋭い洞察が、唯一無二の魅力に転じているように思える。文筆家としての岡崎京子入門としても最適な1冊だろう。

 軽快で楽しいエッセイ集だが、一貫して「結局のところ、社会でどんなことが起こっても、自分のことしか分かりえない」というシビアな感覚を描いている。

 どんなに真剣に社会問題について論じても、ほとんどが個人的な関心についての記述で結ばれる。「旅行に行きたい」、「〆切りがヤバい」など、文章の内容に全く関係のないことであることも多い。それは彼女なりの誠実さであり、照れ隠しでもあるように思える。

 当人にとっては、不本意かもしれないが、隠しきれない真摯さこそが岡崎の書く文章、引いて言えば作品を貫く魅力なのだろう。

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