理解し合えない寂しさを描き出す『違国日記』 ヤマシタトモコの繊細な詩的感覚

 同じ言語でも、使う言葉は育った環境や人生観によって微妙に違ってくる。相手の言葉から、自分が誰で、何を愛して、愛さなくて、どうやって生きていくのか――という明確な意思を感じ取った朝は、自分だけが置いてけぼりにされた気分になるのだろう。ただ、その孤独感は朝が成長している証でもある。最新巻はそれを象徴するように、現在と過去の出来事が混在しているのが特徴だ。小説家として自分がやりたいことを全うしているように思える槙生も、かつては朝と同じような悩みを抱えていたこと。立派に見える大人はみんな、傷つき、悩み抜いた末に“今”があることを、ヤマシタトモコは群像劇のように描いていく。

〈書かない人のほうが知らないんだね 物語なんて嘘だってこと 食べたことないごちそうみたいに思ってる〉

 これはファンレターをもらった槙生が何気なく呟いた言葉だが、6巻の本質を一番表していると感じた。私たちは他人の表面的な部分だけを見て羨んだり批判したりするが、それはあくまでも“フィクション”に過ぎない。本作は対照的な槙生と朝を通して、人間は他者と本質的に分かり合えないこと、それでも他者を愛し、誰かと生きていくことの尊さを繰り返し教えてくれる。 

 6巻は槙生のように静寂や孤独を必要とするえみりの物語も見どころだ。朝から両親の死を告げられた時に「もう絶対友達やめられないじゃん」と感じたえみりの本音。なぜ彼女は朝との恋話を拒むのか。同じ物語でも、きっと読む人によって持つ感想は違うだろう。筆者の書評は一度忘れ、まっさらな状態で『違国日記』の世界に没頭してほしい。

■苫とり子
フリーライター/1995年、岡山県出身。中学・高校と芸能事務所で演劇・歌のレッスンを受けていた。現在はエンタメ全般のコラムやイベントのレポートやインタビュー記事を執筆している。Twitter

■書籍情報
『違国日記』(フィールコミックス FCswing)既刊6巻発売
著者:ヤマシタトモコ
出版社:祥伝社
https://www.shodensha.co.jp/ikokunikki/

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