『一人称単数』から垣間見える村上春樹の“顔” 実験の場としての短篇集

 最後に収められた「一人称単数」は、「私小説」と「奇妙な味わい」どちらの要素も入った短篇だ。〈普段スーツを身に纏う機会はほとんどない〉なんて、村上春樹がエッセイで書いているような、自身のライフスタイルを語る主人公の〈私〉。それでも時々はスーツを着て街を歩き、日常とは違う感覚を楽しむこともあった。ある日〈私〉は家で本を読んでいたが、どうも気が散ってしまう。そこで気分を変えようと、スーツを着て外出する。バーに入った〈私〉はそこでも本に集中できず、店内の鏡を見てふと妙なことを思う。〈でもこの鏡に映っているのはいったい誰なのだろう?〉。

 しばらくすると、見知らぬ女性が近づいてくる。〈そんなことをしていて、なにか愉しい?〉〈洒落たかっこうをして、一人でバーのカウンターに座って、ギムレットを飲みながら、寡黙に読書に耽っていること〉〈そういうのが素敵だと思っているわけ?都会的で、スマートだとか思っているわけ?〉と、人違いだと思うが相手はお構いなしに〈私〉のことを散々に貶す。最後にある強烈な一言を放たれた〈私〉が店を出ると、目の前に広がる街の景色は禍々しいものに一変していた。

 村上作品において短篇は、『ねじまき鳥クロニクル』の冒頭に組み込まれた「ねじまき鳥と火曜日の女たち」(『パン屋再襲撃』所収)や、『ノルウェーの森』へと発展していった「蛍」(『螢・納屋を焼く・その他の短編』所収)など、作品のアイデアが後に長篇へと膨らんでいくパターンも少なくない。「一人称単数」が物語の出だしとなるような長篇、ぜひ読んでみたいところだ。

■藤井勉
1983年生まれ。「エキサイトレビュー」などで、文芸・ノンフィクション・音楽を中心に新刊書籍の書評を執筆。共著に『村上春樹を音楽で読み解く』(日本文芸社)、『村上春樹の100曲』(立東舎)。Twitter:@kawaibuchou

■書籍情報
『一人称単数』
著者:村上春樹
出版元:文藝春秋
価格:本体1,500円+税
https://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784163912394

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