『今日から俺は!!』のルーツは少女マンガだった? 20数年前のヤンキーマンガが愛され続けるワケ

西森作品に流れる『サンデー』らしさ

 『今日俺』がどこか感じさせる清潔さは、非常に『サンデー』らしいものだ。1960年代生まれの『サンデー』作家のほとんどがそうであるように、西森博之もまた、あだち充と高橋留美子から決定的な影響を受けている。

高橋留美子『うる星やつら(1)』

 たとえば、西森がにぎやかでドタバタした日常のバカ話を描くのを好むこと、登場する女性キャラクターが強いことは高橋留美子的である。『うる星やつら』ではラムもしのぶも強い女だ。男は(どちらかと言えば)ボケで女がツッコミ、という西森作品の役割分担も、『うる星やつら』をはじめとするいくつかの高橋作品と通じている。

 個人的には『今日から俺は!!』で一番好きなシーンは今井が「オメーはもう、万病にかかってるかもしれないんだぜ」と言うところで、あそこは何度読んでも笑ってしまう。

 最近の少年マンガは設定からして小難しいものが多いが、『今日俺』はキャラは立っていて設定はシンプル、そして小学生でも大人でも笑わせてくれるギャグセンスが並外れている。『今日俺』の日常パートは良い意味で何も考えずに読め、そして読んでいてとにかく楽しい。作品に入るための敷居が圧倒的に低いのだ。

 では、あだち充と西森博之がどこが共通しているか? 主人公がまったく素直ではないものの、少年マンガらしい価値観を愛しているところだ。少年マンガらしさとは、たとえば倫理的な正しさを貫くことや、仲間を助けるといった「まっすぐさ」にある。

 西森作品は『今日俺』以外も含めて、パッと見のイメージはそうではないかもしれないが、読んでみれば実は求道的な物語であり、主人公が美しい生き方を探求するお話である(『今日俺』も終盤の進路をめぐる展開を読んでもらえれば言わんとすることがわかると覆う)。また、三橋と伊藤、あるいは今井と谷川にしても、ふだんはバカをやっているが、深い絆がくりかえし描かれていく。

 ……しかし、求道譚や絶対的な信頼関係などというものをストレートに描いてはいかにもウソくさいし、重たいし、恥ずかしい。だから「そんなものはウソだ」と言ってたんにバカにしたり否定をしたりして、残酷で無慈悲な世界を描く作家もいる。

 けれども、あだち充や西森博之はそうではない。まっすぐさを愛しつつもウソくささを取り除こうとする。あるいは、気恥ずかしく思って迂回しながら追求する。するとひねくれた「素直じゃない」キャラクターになり、かっこつけていいところでボケたり、マヌケな姿をさらすことになる。

 あだち作品のひねくれ具合やシャイさは、「卑怯でバカだけどやるときはやる三橋」などの西森キャラクターに継承されている。

「ガワ」はヤンキーマンガだが……

 『今日俺』はヤンキーマンガから影響を受けて描かれたヤンキーマンガではないし、自身の不良体験を元にして描かれたヤンキーマンガでもない。

 「ガワ」はいわゆるヤンキーマンガ的だが、むしろ70年代から80年代の女子に(も)支持されたマンガのいいところが詰めこまれ、かつ、西森独自のギャグ、ミもフタもなく、われわれが日常的に感じている窮屈さとは無縁の自由な感覚(三橋!)、サービス精神が炸裂した作品だ。

 読む人を選ばず、構えず読めて、読んだら笑えて、スカッとする。

 それが『今日から俺は!!』の魅力なのだ。

■飯田一史
取材・調査・執筆業。出版社にてカルチャー誌、小説の編集者を経て独立。コンテンツビジネスや出版産業、ネット文化、最近は児童書市場や読書推進施策に関心がある。著作に『マンガ雑誌は死んだ。で、どうなるの? マンガアプリ以降のマンガビジネス大転換時代』『ウェブ小説の衝撃』など。出版業界紙「新文化」にて「子どもの本が売れる理由 知られざるFACT」(https://www.shinbunka.co.jp/rensai/kodomonohonlog.htm)、小説誌「小説すばる」にウェブ小説時評「書を捨てよ、ウェブへ出よう」連載中。グロービスMBA。

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