荏開津広が選ぶ、要約/フェイクニュースへの抵抗となる2冊:『ナウシカ考』『別冊文藝 ケンドリック・ラマー』

 『別冊文藝 ケンドリック・ラマー』は、ヒップホップを一生の仕事として選んだDJ/書き手(私)としては流石に感慨深い。文芸誌がヒップホップやラップをテーマに1冊を出す時代になったのだと思うからだが(もちろん、過去にもヒップホップやラップを扱った文芸誌はあった)、英語圏のラップに向きあった点は、そのハードルの高さからも評価したい。文学と比較すると、ラップは特定のストリート(街路)の日常をまさに現在進行形で切り取っていくゆえに、日常的なアメリカの暮らしの細部と切り離し難い。英語のラップが日本でなかなか聞かれないのも、そのことと明らかに関係がある。

 今やポップ音楽はK-POPのボーイズ・グループであれアリアナ・グランデやテイラー・スイフトであれ、自国内の事情だけを気にしていられない(例えばBTSの2014年のヒット“Spine Breaker”には”世界の階級は2つに分かれる、持てる者と持たざる者“とあるが、これはグローバルな事情だ)が、ヒップホップは自分たちそれぞれの特定の地域のコミュニティを忘れない。忘れるとファンもある程度離れるだろう。その力学と心理が日本では分かりにくいし、音楽はそこを超えていく力を持っているのもまた真なのだが、テキストでアーティストに肉薄する場合、そこを不問に付す訳にもいかない。

 本書では錚々たるメンバーがこのグラミー受賞アーティストの世界とその魅力を通訳/解釈してくれるのだが、それに[日本語ラップとの交差点]と題し、Awich、Moment Joon、OMSBからKOJOE、仙人掌までのケンドリック・ラマーについてのインタビューが掲載されているのは、音楽に意味のない境界を作らない、もしくは実際にはそこが交差しているのだと示す試みとしてまず興味深い。

 そして執筆陣の磯部涼、imdkm、奥田翔、そして吉田雅史、ヨシダアカネ、渡辺志保氏まで、一つの主題の下にいわゆるコラムを寄稿した書き手だけでなく、現在の日本の音楽についての書き手のうち最も博識であろう小林雅明氏が手がけたディスコグラフィ、またアメリカのヒップホップについて最も深い理解をしているだろうGenaktion氏のアルバム『Section80』のレビューも読み落としてはならない出来栄えだが、こうしたテキストそれぞれが呼応し、繋がった長いテキストのようにも読める。これは本書を保存版として買うべきだと考える理由だ。

 要約は往々にして反知性的のみならず能動的な知性のありように対し侮辱的であり、フェイクニュースは私たちから言葉を奪う、つまりはナルシズム傾向と親和性が高い。だからもっともっと、アニメやマンガについて、もしくはラップについて、つまり私たちの環境である、私たちを取り巻く下位文化についてのもっと長く連なった言葉を読んでいきたい。

■荏開津広
執筆/DJ/京都精華大学、立教大学非常勤講師。ポンピドゥー・センター発の映像祭オールピスト京都プログラム・ディレクター。90年代初頭より東京の黎明期のクラブ、P.PICASSO、ZOO、MIX、YELLOW、INKSTICKなどでレジデントDJを、以後主にストリート・カルチャーの領域において国内外で活動。共訳書に『サウンド・アート』(フィルムアート社、2010年)。

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