ジャンボ鶴田は能力の全てを出し切ったのか? “永遠の最強王者”の軌跡を振り返る

 史上最強の日本人プロレスラーと言ったとき、あなたは誰の名前が浮かぶだろうか? アントニオ猪木、前田日明、髙田延彦、三沢光晴、小橋建太、藤田和之、桜庭和志……。ただ30代以上のプロレスファンだったら、まず真っ先に思い浮かぶのが、ジャンボ鶴田の姿ではないだろうか? 『永遠の最強王者 ジャンボ鶴田』(ワニブックス)はジャンボ鶴田の取材を長く続けてきた著者が、過去の取材の記録や関係者への取材を合わせ、3年の歳月をかけて書き上げた600Pに及ぶジャンボ鶴田の生涯の記録であり、決定版となる一冊である。没後20年が経ち、現代のプロレスファンにとってはもはや伝説のレスラーとなってしまったジャンボ鶴田とは一体どんな人物だったのか、今作から読み解けた新解釈も踏まえて紹介していきたい。

「プロレスに“就職”する」

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 ジャンボ鶴田という人間は、圧倒的に優れた身体能力、運動能力を有した日本のスポーツ界でも屈指のフィジカルエリート、肉体の天才だったということだ。パワー、無尽蔵のスタミナ、そこに器用さを併せ持つ規格外の運動能力はしばし「怪物」と形容されたが、決して大げさな表現ではなかった。

 しかし今作を読み終えて感じたことは、ジャンボ鶴田は自分を「怪物」にしてくれる、その持っている能力を全て開放させてくれる相手を探し続けていたのではないかということだ。類まれなアスリートである鶴田は、全日本プロレスに入団し、程なくアメリカ遠征に旅立つ。アメリカでプロレスのテクニックをものすごい勢いで吸収してしまったその運動能力と器用さ、そしておそらく鶴田自身の賢さが、早い段階でレスリングスタイルを確立させてしまう。

 もともと「プロレスに“就職”する」と言って飛び込んできた鶴田である。自身の最も誇れる才能を活かせると選んだその場所は、その一方で鶴田が必死になってもがく必要のある場所ではなかったのだろう。また将来の出世コースも目の前に見えているので、そこに対してもハングリーになる必要もない。ある種の諦め、割り切りみたいなものが、極めて早い段階で鶴田の胸に生まれていたのではないだろうか? 

 プロレスとは本来、情念、ジェラシー、怒りなどネガティブな感情を表現することで客の心を揺り動かすものだが、そういった感情は鶴田からはまったく見えてこない。エリートでプライドも高い鶴田が誰かにジェラシーを感じることもないし、怒りを覚える状況も相手も生まれない。そしてそこには客の感情を揺さぶるなにかは発生してこない。

 そんな鶴田の状況が変わってくるのが、ジャパンプロレスとして乗り込んできた長州力や、天龍革命後の天龍源一郎との一連の戦いを含めた同世代の日本人との戦いである。感情をむき出しにぶつかってくる長州や天龍を相手にしたとき、彼らの攻撃を余裕で受け止めて自らも重たい攻撃を浴びせる。どれだけ長時間戦っても息が切れる素振りも見せずに、動きと攻撃のペースが落ちることもない。ようやくその尋常ならない「怪物」っぷりの片鱗を見せることになるが、しかしその2人を持ってしても、鶴田の全てを引き出すことはできない。それどころか長州は鶴田の土俵に乗せられて力の差を見せつけられることになるし、天龍もこれからというタイミングでSWSに移籍、鶴田との鶴龍対決は真のエンディングを見ることなく終わってしまう。

 その後、SWSへの大量移籍の影響で台頭してきた三沢光晴、川田利明を始めとした世代闘争がはじまると、圧倒的な体力とえげつない攻撃で下の世代を叩き潰す、とてつもなく高い壁としてさらに「怪物」性を覗かせる。またこの頃の鶴田は「怒り」の感情を頻繁に出すようになったので、この時代の圧倒的な強さのイメージが鶴田最強説の大きな一因となっているのは間違いないだろう。ただ下の世代に対してみせた「怒り」は、鶴田のプライドの高さに起因しているように思える。格下に際どい攻撃を仕掛けられたときに、精神的に受け止める器量がなかったということなのだろうか。その超世代軍との戦いも、鶴田の発病によって唐突に終わりを迎えてしまう……。

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