『るろうに剣心』斎藤一のような“漢”になる方法は? 揺るぎなき「悪・即・斬」の信念

 斎藤一。幕末に京都の治安維持、攘夷運動の弾圧に活動した浪士隊・新選組の三番隊隊長であり、『るろうに剣心』シリーズの作中では、抜刀斎時代の緋村剣心とも幾度も刀を切り結んだライバルである。その佇まいと幕末から『るろうに剣心』本編の時代に至るまで「悪・即・斬」という己の信義を貫いて生き抜くその佇まいは、作中男性ファン人気を志々雄真実と二分する。今回は史実を絡めた斎藤の人となりではなく、あくまで『るろうに剣心』に登場するキャラクターとしての斎藤の魅力、そしてどうすれば斎藤のような男になることができるのかを検証していきたい。

決してブレない男・斎藤一

『るろうに剣心―明治剣客浪漫譚―(7)』表紙

 まず斎藤の魅力として取り上げられるのが、”圧倒的なオトナの漢(オトコ)感”だろう。幕末の騒乱を、抜刀斎をはじめとした数々の猛者と斬り合い、結果属していた幕府側は敗れるものの最後まで戦い、生き抜いたその経験は伊達ではない。斎藤が作中頻繁に相楽左之助にいうキラーフレーズ、「お前とはくぐり抜けてきた修羅場の数が違う」は、激動の時代を生き抜いたきた男だからこそ口にでき、かつ抜群の説得力を持つのである。

 また、明治になってからの彼の生き様も興味深い。幕府側として敗れた斎藤だが、仮の名をもって新政府にいち警官として属することになる。単に勝った負けただけの安いプライドではなく、後述の強い信念があるからこそできる世渡り術。己の大義を貫くためには、その行動が他人の目にどう映るか、そんな表層的で浅い部分など気にもとめない、真の誇りを持った漢であるといえよう。なぜ斎藤はそこまでして自分を貫けるのであろうか。

 それが斎藤一を斎藤一たらしめている、唯一の行動規範、掟である「悪・即・斬」である。新選組時代から変わらない、斎藤の圧倒的で揺るがないアイデンティティである。「壬生の狼を飼いならすことは誰にもできない」の言葉通り、斎藤の前では権威も、ある意味では法も関係がない。もともとこの作品は登場人物の年齢が少年漫画にしては比較的高く、そのキャラクター造形も従来の少年漫画のセオリーからも少し外れていることが多い。

 そもそも主人公の剣心自体が28歳と立派なオトナだし、その他の主要人物も敵味方含めて10代の少年少女は極めて少ない。それぞれのキャラクターに共通してあるのは、それぞれの幕末の経験がその人物を形成していて、その先の新時代にどう答えを見出し、どう生きていくかを模索している。その中でも作中で揺るぎない信念を最初から持ち続けているのが斎藤と志々雄の2人といっていいだろう。幕末を戦い抜いて生き延びてきた自らの力と信念を元に己の道を進むという視点で見ると二人は同類に見える。現に志々雄も斎藤に対して「お前は俺といちばん近い思考の持ち主」と語りかける場面があった。ただその信念のベクトルはまったく異なるゆえ、志々雄からすれば同じ道を歩める可能性を感じることはあっても、斎藤からすれば志々雄は“悪”でしかない。その斎藤の揺るぎない信念が彼をいわゆるダークヒーローたらしめ、その魅力の大きな源泉になっていることは間違いないだろう。

 そして斎藤の戦い方もこれまた単純明快で男らしい。片手平突きを得意とした彼はその武器を徹底的に磨き、必殺技にまで昇華し、「牙突」と名付ける。戦場では同じ相手と対峙する機会は少ないので、絶対の武器があればそれだけで問題ないという、そして冷静な分析と判断能力も、斎藤というキャラクターを特徴づける大きなファクターのひとつ。戦いに限らずビジネス等においても我々はとかくあらゆる状況を想定して、いろんな手段を準備しがちである。もちろんそれが悪いことではないのだが、ブレないで己を貫き通すことはやはり難しい。牙突という技は文字通り、己の信念を貫き通し続ける、斎藤一という人間そのものを具現化している技であり、そのブレなさに憧れた読者も多いだろう。

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