猫と生きる覚悟と幸せを描くーー村山早紀『心にいつも猫をかかえて』評

 猫がいる人生と、猫がいない人生とではどちらが幸せなのでしょう。家のソファや日当たりの良い路地で寝ている猫は、見る人の心をなごませます。テレワーク中のネットミーティングで誰かの画面に猫が映ると、一気に雰囲気がやわらぎます。感情を揺り動かす分、猫との離別には深い悲しみも伴いますが、だからといって猫と出会わなければ良かったと後悔することはありません。児童文学やファンタジー作品で活躍する村山早紀が4匹の猫たちと過ごしてきた日々を、4本の短編ともにつづった初のエッセイ集『心にいつも猫をかかえて』(エクスナレッジ)が、その理由を教えてくれます。

「猫のしっぽって、どうしてこんなに可愛いんだろうと、一日に何度も思う猫飼いさんは多いと思います」

  このような文章から、村山早紀の『心にいつも猫をかかえて』は始まります。千花ちゃんという今いる猫のしっぽが、長くもなければ丸まってもおらず、普通の半分くらいでストンと切り落とされた中途半端な長さであることを紹介して、先代のレニ子はかぎしっぽで、初代のペルシャのランコはふわふわ、2代目のりや子はまっすぐだった話へと続いていきます。読めば、猫を飼っている人もそうでない人も、猫に目を向けたくなります。

 猫との暮らしが生活に大きな変化をもたらす話もあります。19年をいっしょに過ごしたレニ子の後任として、元気な子猫がやって来た時、猫が走り回れる仕事場兼書庫を借りることにしました。交通が便利な部屋を探しあて、仕事がはかどるようになりました。同時に、人生に必用なものは何だろうかと考えるようになり、身の回りのものを整理していく中で心が軽くなり、死ぬこともあまり怖くなくなったそうです。猫が人生の迷いに踏ん切りをつけるきっかけをくれました。

 もっとも、猫は命ある生き物ですからは必ず離別の時が訪れます。「付き添う猫」というエッセイには、先代のレニ子が病気になって入院した時、亡くなるとは思っておらず、近所のホテルで仕事をしていたら心臓が止まったという連絡が入って、しばらく床に座り込んで立てなくなった話がつづられています。

  「いまでも時折、夢を見ます。そんな魔法はないとわかっていても、どこかの時点まで時を巻き戻せれば、私の猫は助かって、いまもまだ家にいたのではないかと」「あの朝あの猫は死んだけれど、どこかで違う道を選んでいたら、違う未来を私と猫は生きていたのではないかと」。こうした言葉からは、離別の悲しみと悔恨の情が漂ってきます。

 生き物と暮らすには覚悟が必用です。ただ、その覚悟を大勢の人たちで共有できるのが、ネットによるコミュニケーションが発達した今の時代なのだということも教えられます。「あの猫この犬うさぎも小鳥も」というエッセイでは、ファンや見知らぬ人たちがネットにつづる動物たちとの別れの悲しみに、言葉をかけたりかけずに祈ったりすることで、死んでしまった子たちが生き続けているように思えるのだと語られています。憎しみの連鎖も生み出すネットですが、悲しみを喜びに変える連帯も生み出してくれるのです。

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