『進撃の巨人』は団結できない人類の業を描き続けるーー時代が変わっても色あせない魅力
諫山創の『進撃の巨人』(講談社)は、巨大な壁に囲まれた城郭都市を舞台に人類と巨人の戦いを描いた漫画だ。2009年に『別冊少年マガジン』で連載がスタートした本作は、今年で連載11年目、単行本にして31巻に及ぶ長期連載となっているが、その勢いはいまだ衰えることを知らず、クライマックス間近となった物語のテンションは最高潮の盛り上がりを見せている。こういったヒット作は、時代が変わると急速に色あせてしまうことが多い。しかし『進撃の巨人』はいまだ衰えることなく、むしろその先鋭性が増している。
新型コロナウイルスの世界的流行は、他方面に影響を与えており、漫画もまた「それ以前と以降」で大きく変貌しつつある。コロナ以前に作られた作品がノスタルジーの対象へと変わりつつある中で『進撃の巨人』の印象が変わらないのは、コロナ禍の現実を超える過酷で救いのない世界を描き続けてきたからであり、安易な希望に逃げ込こまず、より深い絶望を追求してきたからだろう。
以下ネタバレあり。
巨人誕生にまつわるすべての謎が明らかとなり、主人公のエレン・イェーガーは始祖の巨人の力を掌握する。そして「地ならし」を発動し、城壁の中に閉じ込められていた幾千万の巨人(壁の巨人)たちを開放する。
壁の巨人はこの島の外にあるすべての地表を踏み鳴らす
そこにある命を
この世から駆逐するまで
始祖の巨人の力で、すべてのユミルの民に話しかけるエレン。この31巻では、その声を聞いたミカサやアルミンたち調査兵団の兵士たちと、ライナーやピークたちマーレ軍の戦士たちが、世界を滅ぼそうとするエレンを止めるために共同戦線を張る姿が描かれる。
「地ならし」で世界が混乱する中、複数のドラマが同時進行していくのだが、読者にとって嬉しいのは、“女型の巨人”の所有者であるアニ・レオンハートが再登場する場面だろう。エレンたちに敗北したアニは、自分の体を水晶体で覆うことで長い眠りについていたのだが、ここまで話が進んでしまうと再登場は無いだろうと思っていた。これは嬉しい誤算だが、改めて考えると『進撃の巨人』らしい展開だとも思う。
本作には、あっさりと人が死んでしまう儚さはあっても、捨てキャラはいない。出てきた当初はその他大勢に見えたキャラクターでも、話数が進むと徹底的に掘り下げられていき、最終的に驚くような役割を果たすことになる。それは、ガビとファルコという、かつてのエレンたちを思わせる少年兵の物語を見ればよくわかる。
第23巻以降、ライナー視点で綴られるマーレ編に入り、2人が登場した際には、ここまで重要なキャラクターになるとは思っていなかったのだが、この2人もまた、戦いに巻き込まれる中で重要な役割を担うようになっていく。中でも、調査兵団のサシャをあっさりと殺してしまったカビが、彼女の家族と関わることで、その罪の重さと敵対するパラディ島の人々が悪魔でなく同じ人間なのだと気づいていく展開は、執拗に描かれる。
普通の漫画なら、殺し合いの連鎖に囚われた過去の歴史を背負うのは大人であり、ガビやファルコのような子どもたちはそこから開放された無垢な存在として描きがちなのだが、本作では無邪気な正義感こそが惨劇の引き金となるということが繰り返し描かれており、子どもであっても容赦がない。
一方、調査兵団団長のハンジは、かつて正義のために多くの人々を拷問して死に追いやった第一憲兵から「こういう役には多分順番がある…」と言われたことを思い出し、次は自分の番かもしれないと何度も思う。昨日、革命を起こした英雄が今日は逆賊として粛清されるという展開を、本作は繰り返しており、まるでそれこそが人類の歴史なのだ。と言わんばかりである。